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カテゴリ:・・表現よみ(音読・朗読)指導の実際
『走れメロス』(太宰治)の冒頭に 「 メロスは激怒した。 必ず、かの邪知暴虐の王 を除かねばならぬと決意した。 メロスには、政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である 。・・・・・・」 とあります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ この最初の一文のよみについて中学生が共同助言をしています。
M 君 「大きな声で、はっきりよめていました。」 K さん 「メロスが、怒ったことが伝わってきました。」
先生 「こうよんだ方がいいと思うことはありませんでしたか?」
Dさん 「激怒したのだから、その気持ちの激怒が伝わってくるようによむとよかったと思います。」 T 君 「Dさんにつけたしです。怒ったと激怒したは、違うと思います。激怒は、激しく起こることだと思います。だから、そのことが声に出るとよかったと思います。ただ、怒ったではないのですから・・・」 N君 「この冒頭の<激怒した>が、気持ちで伝わってくると、次の文章をよむときに、なぜ、激怒したのかと疑問に強く思い、この作品に惹かれていきます。」
先生 「この共同助言、なかなかしかっりできていますね。 この共同助言の発言のように気持ち(情感)を表現した表現よみは、読解を深めるのですね。」
生徒 「ああそだ。・・・・。・・・・・・。」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ *先生が「メロスはどうしましたか?」 生徒が、「はい、激怒しました。」 先生 「そうですね。」 のような授業と比べると、面白さ・読解の深さなど面から深さが違ってこないでしょうか。(今日)
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表現読みと朗読は、ねらっていることは同じだと思います。 表http://hyoukyouken.gooside.com/表み総合法教育研究会現よみ総合法教表現よみ総合法教育研究会育研究会
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* これらの実践・研究は、大久保忠利の理論によるところが大きいです。 大久保の国語教育の理論は、下記の本にまとまっています。 大久保忠利著作選集1・2(三省堂)絶版 必要な方は、古書店か表現よみ総合法教育研究会に注文をしてください。 表現よみ総合法教育研究会では、2500円・1冊です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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流石!中学生ともなると共同助言の内容がググッとレベル上がりますね~スゴィッ(*゚д゚ノノ
感情を込めて読む!詩の朗読もそうですね(´ー`*)ウンウン 詩の情景や作者の気持ちを表すような読み方をしないと詩は伝わりませんもんね(゚ェ゚(。_。(゚ェ゚(。_。*)コクコク 走れメロスですか~(*'∀'人)♥*+ 懐かしいですね~(´ー`*)ウンウン こんな素敵な授業だったら、わたしも大きな声で発言出来たかも~(*^-^*)>" (2015.09.05 11:03:46)
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昨日の早朝から、中堅社員研修で宗像グローバルアリーナに行っていまして、一泊して先ほど帰って来ました。男女14人の中堅社員たちが熱い議論の末、確かな成果を掴んだようです。 貴方への心からの感謝を込めて P☆ !! (2015.09.05 16:23:30)
中学生の時に、「ドン・キ・ホーテ」が国語の教材に入ってました。先生が、キ・ホーテとサンチョ・パンサ役の生徒を振り分けて、朗読が始まりました。キ・ホーテ役の生徒は普通に(平板に)読みました。ところが、サンチョ・パンサ役の生徒(女子でした、顔も覚えています)が、「まるでサンチョ・パンサ」という読みをしました。後年、演劇を見たり、脚本なども読むようになったら当たり前と思えるようになったことなのですが、その瞬間、教室が、ざわっ・・となったのを明確に覚えています。くすくす笑う子も出てきました。サンチョ・パンサのセリフ部分を読んでいた子も、その雰囲気を察して、「普通の」読み方になってしまいました。
先生が、授業の開始部分で、これから戯曲に取り組むこと、散文とは違う事、担当した人はその役になりきって読むことなどの注意をしたかどうかの記憶はありません。 教室の中でくすくす笑いが出た時に先生がどうふるまったのかも記憶にありません。 いまは、日本史や世界史の教科書を読ませるという事が主ですから、国語のような「表現読み」ということはありませんが、史料としての「貧窮問答歌」を読ませる時にどうするか、一度、国語担当と話してみたいと思います。 いま、ETVでやっています、『斜陽』の読みなんかも国語はどうしているのか、知りたいです。 (2015.09.06 11:55:16)
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今日も早朝からゴルフでした。やや疲れ気味の昨今なので、参加するだけ……です。(^_^;) 地域の同好会のコンペなんですが、一応、私、会長なもんで……。(^-^) 今帰ってきて。夕方から表彰式兼懇親会です。成績はまだ分かりません。 貴方への心からの感謝を込めて P☆ !! (2015.09.06 16:13:15)
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昨日の地域のゴルフ同好会コンペ……相当に疲れていたので、義理で参加したようなものだったのですが、結果、優勝してしまいました。力が入らなかったのが良かったようです。ゴルフの奥深さをしみじみと感じました。(ー_ー) 今週もよろしく、お願いします。貴方への心からの感謝を込めて P☆ !! (2015.09.07 11:04:33)
まろ0301さん
> 中学生の時に、「ドン・キ・ホーテ」が国語の教材に入ってました。先生が、キ・ホーテとサンチョ・パンサ役の生徒を振り分けて、朗読が始まりました。キ・ホーテ役の生徒は普通に(平板に)読みました。ところが、サンチョ・パンサ役の生徒(女子でした、顔も覚えています)が、「まるでサンチョ・パンサ」という読みをしました。後年、演劇を見たり、脚本なども読むようになったら当たり前と思えるようになったことなのですが、その瞬間、教室が、ざわっ・・となったのを明確に覚えています。くすくす笑う子も出てきました。サンチョ・パンサのセリフ部分を読んでいた子も、その雰囲気を察して、「普通の」読み方になってしまいました。 > 先生が、授業の開始部分で、これから戯曲に取り組むこと、散文とは違う事、担当した人はその役になりきって読むことなどの注意をしたかどうかの記憶はありません。 > 教室の中でくすくす笑いが出た時に先生がどうふるまったのかも記憶にありません。 > いまは、日本史や世界史の教科書を読ませるという事が主ですから、国語のような「表現読み」ということはありませんが、史料としての「貧窮問答歌」を読ませる時にどうするか、一度、国語担当と話してみたいと思います。 > いま、ETVでやっています、『斜陽』の読みなんかも国語はどうしているのか、知りたいです。 ----- * こいういうことは、いま、一般的にあることでしょうね。 でも、それでは、作品をよんだことにならないのではないでしょか。 読み手の感情まを表現して初めて主体的なよみになるのではないでしょうか。 人間の心の解放のためにも・・・・。 (2015.09.07 18:23:01)
和活喜さん
> いつもご来訪、コメント、応援をありがとうございます。(^.^) >昨日の地域のゴルフ同好会コンペ……相当に疲れていたので、義理で参加したようなものだったのですが、結果、優勝してしまいました。力が入らなかったのが良かったようです。ゴルフの奥深さをしみじみと感じました。(ー_ー) >今週もよろしく、お願いします。貴方への心からの感謝を込めて P☆ !! > ----- * 優勝してなんて、素晴らしいですね。 うれしいことですね。 (2015.09.07 18:26:09)
2匹の猫0927さん
>ご訪問、コメント有難う御座います。 > >本日、心を込めて応援完了です。 ----- * これからも、貴ブログ参考にさせて戴きます。 (2015.09.07 18:27:16) |