カテゴリ:経営者のための連続コラム
前回の続きです。
おいしさにはふたつある。 ひとつは、人間が生きるために食べ物を食べなくてはならないという欲求に応えるおいしさだ。満腹中枢を刺激するおいしさといえるだろう。 もうひとつが、生きるために食べるということよりも、もっと次元の高い人間としての幸福感を味わう欲求を満たすためのものである。 恋人や家族や友人など大切な人とする食事、これほど、幸せを感じることはないだろう。 人は金銭的にも時間的にも余裕が出て豊かになると、より次元の高い欲求を満たすために時間を過ごす。 人と時間をすごすという欲求もあるだろう。そして、あたらしいおいしさに出会うという欲求もあるだろう。 これらは、ゆとりのある生活のできるものに許される特権だ。 生きるためにする食べ物を喰らうときに発する言葉、それが、「喰った、喰った」だ。体が食べ物を食べたという体に刺激を受けたときに発する言葉だ。 では、体が食べ物を食べた時に刺激を感じるには何が必要なのだろうか? ひとつは胃の中をある程度いっぱいにしてあげることがあげられる。 よく、「お腹がいっぱい」と言う。 でも、実際にいっぱいになっているのはお腹すなわち腸ではなく、胃なのである。 われわれは、早喰いをして、良く噛まず、柔らかいものを胃に大量に流し込むと強い刺激を得ることができる。 あの「ああ、喰った!喰った!」と言葉、実は体が刺激を受けた、魂の言葉なのである。 「腹八分目」とは、社交場の心得として安土桃山時代に発達したようだが、人間として、生きるために節操無く食べることを戒めた言葉でもある。 もうひとつ、体が刺激を感じるものがある。 味だ。 一般に味は味覚の味蕾で認知すると言われる。 しかし、刺激は血中に入った、ナトリウム、糖でも認知するのだ。 味覚はなんのためにあるのか? 「おいしい」と認知して、食欲を増進し取るべきもの取る。 「まずい」と認知して食べられないものにブレーキをかけて体を守る。 そして、あまり強すぎる刺激には「しょっぱい」、「甘~い」と不快を感じてブレーキをかける。 つまり、味蕾は「快」、「不快」で刺激を峻別して、摂取する食べ物をコントロールするためにある。 今、述べた味蕾、すなわち舌の上で感じる刺激と、血中に流れ込む刺激は普通にしていれば一致している。 しかし、この舌の上で感じる刺激を弱くすることができる。 本来は体を守るためのブレーキ。 しかし、コントロールして、このブレーキ弱めることができるのである。 ブレーキを弱めれば、血中にナトリウムや糖を急激に流し込み、お客様の体を強烈に刺激する。 どのようにブレーキをかえるのか? 味付けに辛さを併用すれば、舌の上で感じる塩分を相対的に低く感じさせることができる。 あるいは、サクサクした食感、シャキシャキした野菜の食感や強い食感の麺などは、舌で感じる塩分を相対的に低く感じさせる。 なぜ、チェーン店は、サクサクの食感で辛いものを志向するのか? それは、おそらく強い刺激を与えることでお客様を釘付けにできるのだ。 なぜならば、サラリーマンやOLさんは、忙しすぎて、短い昼のランチ時間では、時間をかけて食事をすることができず、強い一瞬の刺激で、満腹中枢を満たすしかない生活習慣なのだ。 「悪魔に魂を売れ!」 一見、言葉は悪いが、辛さ、食感、化学物質を用い、舌で感じる塩分を低くして強烈な刺激を与えればお客様をあなたのお店へ釘付けにできる。 逆に刺激になれた庶民にとっては、刺激の少ない味はものたりない味付けにすぎないのだ。 「うまくないの繁盛している」のではない。 あなたが、客層の利用動機に対応した味を追及していないだけなのだ。 失礼を承知で申し上げるならば、庶民はおいしい食材を食べに来ているのではない。 ソースやタレやドレッシングの刺激を求めているのである。 大久保一彦のコラムがまとまった本 【送料無料】小さな飲食店が成功するための30の教え お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.02.08 07:02:19
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