カテゴリ:子供たちのためにコラム
戦後から1990年後半くらいまで右肩上がりの時代はみんなが一丸ととなって目標につきすすむ組織が重要だった。
マーケットが必ず発展するのであれば、個人の判断は重要ではなく、みんなの意見がまとまればゴーを出す。多少の失敗もしかたない。 そのために稟議書を回し、「見ましたよ」という意味で判子を押す。 「判子を押したんだから一蓮托生ですよ」と連帯責任にして、個人の責任をうやむやにしてきたと言えるだろう。 しかし、右肩あがりにならなくなると、そうはいかない。 鋭い判断力をもった人間がすばやくジャッジして動かす必要がある。 そして、判断した人間はそれなりの責任をとる。 非常事態に瀕して、それができる人間、すなわちリーダーがいないとたいへんなことになる。 つまり、帝政に移行したローマのように、元老院のような合議制が通用しなくなり、リーダーにゆだねたほうがいい場面に変わったのだ。 少なくとも「だれが判断した」、「だれが命令した」で責任をなすりつけているようではだめな時代になった。 そして、それぞれが任された仕事において「自分がリーダーである」という自覚をもって仕事をする必要があるのだ。 大久保一彦の本もよろしゅう 【送料無料】善の循環経営 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.05.22 07:53:16
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