カテゴリ:経営者のための連続コラム
前回の続き
山田さんはその後、イタリアに短期間渡り、帰国してから、師匠である室井克義氏(当時、ホテル西洋銀座「アトーレ」料理長)に指導を受けることになりました。 そして、1986年に千葉県佐倉市にオープンした「リストランテ・カピサノ」のシェフに就任しました。この店で12年間シェフを務めました。 この店は今の山田さんの店、カステッロに程近い場所にあります。 リストランテ・カピサノは席数38席で、損益分岐点は450万円の店でした。 しかし、オープンから半年間は月商300万円を超えることはありませんでした。 オーナーは別にいて、オープン当初からファミリーレストラン的なメニューを山田さんに求めました。 しかし、山田さんにとってそのようなメニューは不得意な分野で、本来のイタリア料理の力が発揮できずにジレンマを抱えて仕事をしていました。 そのような状況に耐えかねて、半年後に山田さんはオーナーに内緒でメニューを書き替えました。 本来やりたかったイタリア料理に近付け、アンティパストを横文字にし、リゾットも柔らかくせず、本来の食感に変えました。そして数カ月後には、いい意味でも悪い意味でも反響がでてきたのです。 まず、従来の「イタリア風料理」に慣れたお客様からはクレームをいただきました。 しかし、山田さんは「本来のイタリア料理に変えたのは、お客様への教育」と考え、クレームが出る都度、お客様に直接対応して、理解を求めながら営業を続けました。 当時のことを山田さんはこう振り返ります。 「売上やお金のために嫌々仕事をしているという悪の心はお客様に確実に伝わります。気の入っていない料理はわかってしまうのです。自分のカラーを出してチャレンジするステージを作ったことは自分にとても有意義なことでした」 チャレンジによって、大きな責任を伴った山田さんには、このような現象が現れてきました。 「やりたいことができる楽しさを実感した瞬間にどんどん視野が広がっていく。魚も、肉も、野菜も、ワインも、器も、そして自分自身がクリエイティブに変わっていった。すると料理のアイデアが次々と生まれてきた」 これらの試みによって売上げが伸びるという結果が出たところで、カピサノのオーナーにこれまでの経緯を話しました。 オーナーはこう言いました。 「おれもおかしいと思ったんだ。これだったらいくところまで行くしかないね」 要するに、好きなようにやっていいという許可を取り付けることができました。 ここから山田さんのさらなるチャレンジは始まりました。テーブルやグラスを変え、席数が38席から45席に増え、売上げは月商1000万円、繁忙時の12月は月商1500万円に到達しました。 そんな中で、山田さんには「お客様をもっといい空間でもてなしたい」という気持ちが芽生えてきました。そして、自分の思いを実践するために独立を決意しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.09.12 23:57:50
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