カテゴリ:Travel 静岡、愛知、三重
「泰平のねむりをさます 上喜撰 たった四はいで、夜も眠られず」 この4艘のうち2艘、プリマス号、サラトガ号は帆船だった。 蒸気船はミシシッピー号と何故かへんてこな名前のサスケハナ号。 サスケハナってどうなの。 ↓ これ。 サスケハナとはペンシルベニア州にある川の名前。 アメリカ先住民の言葉で「広く深い川」を表す。 サスケ+花or鼻じゃないのか。 ペリーロード。 ちょっと佐原みたいな感じがする。 ペリーって人はなかなか威張っててガミガミうるさい人だったらしく「熊おやじ」と陰で言われてたとか。 事前の調査で「日本人は自分たちを世界で一番優秀な民族だと思っている。」と聞かされ、鼻をへし折ってやると意気込んでやってきた。 それも・・・フィルモア大統領からは「琉球」の占領はやむなし」とまで言われてる。 いきなり琉球にやってきて武装した武官と共に登城。 琉球側が抵抗すれば即座に戦争だったのを、友好的にもてなし、ことなきを得た。 でもちゃっかり琉球では清からの使いのもてなしよりも低い料理を出して裏をかいている。 バレなくてよかったねー。 そのあと、勝手に小笠原諸島を探検し、またまた勝手に「領有権」宣言を。 ならずものー! ! 流石に英、露などの抗議を受け撤回。 あ、危なかったっ。 その後、浦賀沖に行っちゃうわけだけど・・・ 通訳はオランダ人なわけで英語→オランダ語→日本語。 通商条約をこれで結ぼうとするのに無理があるのでは。 開国要求して1年後にまた来ると言っておきながら、将軍の死を聞きつけて半年で戻ってきた彼。 アメリカ側は船上でフランス人シェフが腕をふるった。 日本人が鯛を食べるのを調べてきて鯛の料理もあったそうだ。 ↑ この心遣いはシェフによるものだろーなー。 日本側は横浜の招待所で現在のお金にして1億5千万、1人あたり50万の料理を振舞ったんだけど・・ なにせ肉料理はないわけで・・・ 全体的に薄い味付け、1品毎の量がアメリカ人には少なかったのが御不満だったらしく、ペリーは「日本はもっといいものを隠しているに違いない」と書いている。 江戸浮世小路百川の最上級の食材、食器を使った懐石料理、あんたにはわかるまい。 そんな熊おやじも下田港に入った時はその美しさに息をのんだらしい。 「貧乏=不潔だと思っていた。日本人は貧乏なのにとても清潔だ」 嫌なやつだなー。 「ペリー来航記念碑」なんて必要だったのか。
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