首都タシケント1966年の大地震で壊滅状態になったものの
その爪痕を見ることは無く近代的な街に復興しています
タシケントは「石の町」を意味なんですって
広い道幅の道路には自家用車、バスや路面電車が縦横無尽に走り
中央アジアで唯一地下鉄が走っている大都市です
人々も服装も今まで訪れた街とは全然違い
伝統的な服を着ている人は皆無でヨーロッパ的
イスラム伝統的な模様のホテルはクラシックな佇まい
この旅行で初めて朝食にたまご焼いてくれた~ うれしっ
コーヒーはここでもネスレのインスタント
でったけどね…
この日は帰国日でしたが、帰国便
が夜10時なので
それまでタシケント観光 ~の前に、ホテル前を散歩
真ん前にアムール・ティムール広場があり
ティムールの騎馬像がありました …後ろ姿ですんまそん
正面から撮ると逆光になるもんで
というのは言い訳でめんどくさくなったのだつた…
そうそう500スム札に描かれているのはこのティームルの騎馬像です
ちなみに200スム札にはサマルカンドのシェルドル・メドレセの
トラライオン
ホテル隣の建物の屋根に …コウノトリ
コウノトリはちょいちょい見かけるモチーフの一つ
家族の象徴なんです よね
戦後シベリアから移送された抑留者79名の日本人墓地
日本人を埋葬した祖父の代からイスラム教の家族によって守られており
墓標と記念碑がある緑濃い閑静な墓地はきれいに掃除されていました
あまりに明るい青空の元ながら、思いをはせると涙が出てきました
西洋オダマキや西洋アジサイっぽい花々
オオデマリ …あやめかな
平和であることって幸せですよね
1907年に建てられたロシア公使の私邸を博物館にした
ウズベキスタン工芸博物館 …まるで宮殿
1937年に開館した博物館には4000点以上の収蔵品があるそうですが
建物自体がすばらしい伝統建築の工芸品のよう
展示されている木彫りのものは折り畳み式のコーラン書見台
イチャン・カラでも売られていたけれどもとても精巧な造り
まるで霊廟かモスクのような天井にも …溜息だわ~
これがウズベキスタンの伝統的な刺繍、スザニ
天然草木染色の絹糸でザクロやブドウの柄が
若い女性の手で一針一針刺されます
ざくろやブドウは、子宝に恵まれるとか
宝物が増えると言われ縁起が良いんですよね
地域によって白地だったり黒地だったりするらしいのですが
ブハラが白地だったかな…
わざと完成をさせず、母から娘へ代々伝えられるそうです
ブルーの陶磁器も多く展示されていました
が …気になったのは左側の絵皿
ウズベキスタンの美女とはこんな顔
と言われるお顔なんですって
眉毛が濃くて繋がっているのが良いそう …わざわざ描くそうよ
中庭には気持ちの良さそうなチャイハナも
こんなとこでお茶したいわね~
ランチはおしゃれなレストランでして… 初めて生ビール
ラグメンにはお野菜たっぷりで彩もよく
サラダもフェタチーズとディルが効いていてとても美味
もう最終日だから生野菜も解禁しちゃったわよ
ようやく食べることができたウズベキスタンの国民食プロフ
サフランで味付けされたピラフ
ちょっと脂っぽい料理ですが、ホロホロのビーフもたっぷり
個人的にはひらべったく見えている馬肉が美味しかったわ
ハシュト・イマームにある
1541年に建築された10世紀の聖人のカファリ・シャーシ廟
霊廟内外にお墓があるのですが、周りが公園のようになっていて
花々も咲いていて華やかで長閑な場所です
同じくハシュト・イマームにある
1531年に建てられた珍しい1階建てのバラク・ハーン・メドレセ
中は お土産屋さんになっていました
向かいにあった図書館には世界最古のコーランと言われる
7世紀のオスマン・クラーンが展示されていましたが 写真不可
羊皮紙で作られているオスマン・クラーンは
広げると1mくらいある大きなものでした
ちなみにこれ、サマルカンドの
ビビハニム・モスクの巨大書見台に置かれていたもの
バラク・ハーン・メドレセの向かいにある
ハシュト・イマーム・モスク …には入れませんでした
サマルカンドをまわってきてから
タシケントのメドレセやモスクを観ると…
「消化試合感」漂っちゃって… さら~っと流しちゃった
チョルスバザールを眺めチョルス駅から地下鉄乗ったの
けど、構内も社内もぜ~~~んんぶ 写真不可
厳しいわね~ レトロな地下鉄素敵だったわよ
1991年8月31日にソビエト連邦から独立したウズベキスタン
それを記念して造られたムスタキーリク広場(独立広場)
ココにもコウノトリ が アクロバットしてはる
奥に見えているウズベキスタンしか載っていない地球儀のオブジェ
ソ連時代「赤の広場」と呼ばれていたころにはレーニン像だったそう…
「タシケントの母」と呼ばれる像の前には
チューリップが咲き乱れ、気持ちの良い公園になっていました
第二次大戦後、日本人抑留者の強制労働によって建てられ
1947年に完成したナヴォイ・オペラ・バレエ劇場
側面にプレートがあり
「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された
数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴォイ—名称劇場の
建設に参加し、その完成に貢献した。」と書かれています
1966年の大地震でも壊れなかったんですよね …さすが
きれいな新車もたくさん走っていましたが
こんなレトロなソ連製
車も現役
最後の晩餐でいただいた赤ワインは
始めてウズベキスタン産辛口のものでした
おいち
きのこのスープとスパイシーなひき肉のケバブで全行程終了っ
空港に向かうときに車窓から見つけたウズベキスタン国旗
青と緑の美しいウズベキスタンそのものの色合い…
8時間かからない直行便で無事帰国いたしました
シルクロード上にあるウズベキスタンは
アジアでもなくヨーロッパでもなくまさしく文化の交差点
両方の融合だけではなく
歴史に翻弄されながらも
そこから独自に文化圏を築いてきたものが
そこかしこに残っている興味深い国でした
年々美しく整備された観光国になっていくのでしょうが
何時までも素朴で平和で、優しく人懐っこい笑顔が溢れる
サマルカンドブルーが輝く国であって欲しいと思います
また行く機会があるかどうかは不明だけれど、大好きな国になりました
今回も旅行記にお付き合いいただきありがとうございました ...fin.
2017年4月:ウズベキスタン、蒼穹の世界遺産の古都の旅トップに戻る
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