ブハラで泊まっていたホテルの部屋から見える風景
なんですが… 実に整然とした街並みなんです
ウズベキスタンってもっと田舎っぽいイメージだったの
それが見事にひっくり返されました
どこもかしこもゴミ一つ落ちていなくてとっても清潔
オリンピックでも誘致するのかしらん
って思うほど
昨日街が完成しましたっ くらいピッカピカなのよ
そんな新市街然とした中に旧市街があるわけで
昨日訪れたカラーン・モスクとミナレットが ほらっ
スタジアム …ウズベキスタンではサッカーが人気らしいです
この日は朝からバスで4時間 …この旅唯一のバスでの長距離移動
世界の支配者ティムールの生誕地シャフリサーブスへ
シャフリサーブスは標高約622mに位置し
周りにはかなり高い山々が …ヒマラヤみたい
14世紀にトルキスタンを席巻したティムールの生まれ故郷
2000年に15世紀のティムール朝時代に建築された建物の現存する地区が
シャフリサーブス歴史地区として世界遺産に登録されています
プチっと解説、ティムールさんとは… 知らなかったんですもん
1336年4月8日に生まれ、1405年2月18日に没した
モンゴル=テュルク系軍事指導者でありティムール朝の建国者
中世アジアを代表する軍事的天才と言われ
かつてのモンゴル帝国の半分に匹敵する帝国を建設した英雄です
建設事業が好き
でいっぱい建てています
緑豊かな中庭に「瞑想の家」と呼ばれる
ドルティロヴァウト建築群が佇んでいます
1435年にウルグ・ベクが父シャー・ルフを偲ぶために建設した
コク・グンバズ・モスク(青色のドームを持つモスク)
近世に修復されたフレスコ画で彩られている内部の壁面は
とても明るくて …ちょっと軽い印象
なぜか椰子に見えちゃうんですけど… 椰子なの
モスクに向き合い並ぶ2つの霊廟
グンバズィ・サイーダン廟はウルグベクが子孫のために建てたもので
4つの墓石が並んでいました
シャムスッディン・クラル廟はティムールの父とその指導者が
葬られています しかし明るいわね …お墓だけど
向かいにあるドルサオダット建築群へ
ドルサオダットは「権力の霊廟」という意味らしいです
ティムールが22歳で戦死した長男ジャハンギールのために建てた
尖がりドームのジャハンギール廟 …廃墟感漂々
他にもティムールの次男が眠るウマル・シェイヒ廟もある
あった
そうですがほとんど崩壊していて確認できません
狭い階段を降りていくとティムールが葬られる予定だった棺も
置いてありますがもちろん葬られていません
…ティムールはサマルカンドに眠っています
廃墟感は否めないけれど
遺跡然としていてこれはこれでありでした
この街もやっぱり新興住宅街みたいに …キレイ過ぎる感じ
昼間は25度くらいになるのでランチのビールがうまっ
と、定番の肉じゃが… もう何度目だか
ティムールが残した最も壮大な建物と言われる
夏の宮殿アク・サライ宮殿(跡)
1380年に着工し、完成まで20年を要したとか…
ってことは、ティムールの死後も続いていたんです
色が全然残ってないんだな… なんて思っていたら
実はこっちは裏側でした
アク・サライは「白い宮殿」と言う意味ですが
実際は青と金色のタイルで装飾されていて白かった訳ではないみたい
白は高貴なイメージがあったのかしらね
こっちが表側
完成時のには両側の塔は高さ50mもあり
宮殿は屋上で繋がっているアーチ状だったらしいです
しかもっ
屋上にはハーレムの美女専用プールがあったんですってよ
ココはシンガポールかいっ
現在宮殿のアーチ部分完全に崩壊
2つの塔も崩れて38mの高さになっています
塔の左側には「スルタンはアラーの影である」
右側には「スルタンは影である」と書かれているそうです
本当は同じ文言のはずだったのに…
右の塔の文で「アラー」の文字が抜けていることに激怒したティムールは
職人を門の上から投げ落としたという …またしても恐ろしい伝承
アク・サライ宮殿の前に建つ威風堂々のティムール像
シャフリサーブスの見どころはこの3か所…
サマルカンドまで3時間、ノンストップでバス移動
4%の薄目のビールだけど、乾いた喉に染み渡るわ~
ビールの種類がいろいろあってムスリムの国だとは思えないくらい
香ばしくてスパイシーなケバブにはぴったり でした
呑めれば良いのか …良いのだ ぷふぁっ
続きはこちら 5. 青の都と称される世界遺産サマルカンド ~グリ・エミル廟 ~レギスタン広場 ~ティラカリ・メドレセ ~ウルグ・ベク・メドレセ ~シェルドル・メドレセ
2017年4月:ウズベキスタン、蒼穹の世界遺産の古都の旅トップに戻る
国内旅行記トップへ
海外旅行記トップへ
☆★ブログランキングに参加しています★☆
一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いします
こちらもよろしくね
|
メッセージは
こちらからお願いします
|