「本当に、わたしなどが佐田さんの遺産を受け取ってもよろしいのでしょうか?」
松本神父がそう言って恵理子を見ると、彼女は笑顔でこう答えた。
「当たり前じゃない。あなたはわたしのお友達よ。他人の金を当てにしている親戚よりも、赤の他人のあなたに相続して欲しいのよ。」
恵理子はかつて年商30億を稼いだ大手食品会社「サダ・フーズ」の取締役であったが、定年を前に職を退き、会社を息子譲渡してこの施設で余生を過ごしていた。
「もう充分お金は稼いだし、行きたい所にも行ったわ。お金はあの世まで持っていけないでしょう?」
「そうですか・・では、ありがたく受け取ります。」
松本神父はそう言って恵理子に深々と頭を下げ、施設から出て行った。
一方、新宿にあるサダ・フーズ本社ビルの社長室では、恵理子の長男・武雄が低い声で唸ってあるものを見ていた。
彼の前には、武雄が興信所に依頼した松本忠神父の調査票だった。
「失礼します、社長。」
「入れ。」」
社長室に入って来たのは、秘書の松本啓―松本神父の異母兄だった。
「お前の弟が、どうやら母さんの遺産を相続するらしい。」
「いいんじゃありませんか?もう会長は第一線から退かれ、素敵な余生を過ごしていらっしゃる。会長の意思を尊重なさっては?」
「何を言う!赤の他人なぞに佐田の財産をやれるか!」
「社長、お言葉ですが弟は“赤の他人”ではありませんよ。一応、親族ですからね。ではこれで失礼いたします。」
啓は武雄に頭を下げると、社長室から出て行った。
「あ、松本さん!」
啓が社長室から出て来ると、営業課の貴島亮子が彼の方へと駆け寄ってきた。
「どうしました、貴島さん?」
「あの・・確か松本さんには、弟さんが居たんですよね?」
「ええ、そうですが、それが何か?」
啓が顔を顰めて亮子を見ると、彼女はそれに全く気づかず、無邪気な質問を投げかけて来た。
「確か松本さんって、弟さんとは異母兄弟なんですよねぇ?松本さんのお母様は、社長の愛人だったとか・・」
今ここで、こんな不愉快で悪意ある言葉を投げつける女の横っ面を思いっ切り張れたら、どんなに気分が良いだろうか。
だがここは会社だ、他人の目がある場所で、感情的になる訳にはいかない。
啓はぐっと拳を握りしめると、唇をかみしめた。
「あ、すいませぇん、変な事聞いちゃいましたね?」
亮子はうすら笑いを浮かべると、くるりと踵を返してエレベーターへと乗り込んだ。
その夜、啓は帰宅するとあるブログをチェックしていた。
それは、亮子が書いているブログで、小説形式で上司との不倫を赤裸々に綴っているくだらないものだった。
良くこんなものを書いて、いかにも自分が悲劇のヒロインだと酔っている文章を読み進めている内に胸糞悪くなった。
勿論、会社の者は彼女がこんなものを書いている事は誰も知らない―啓以外は。
あの女は仕事が出来ない癖に、何かと休みたがるし、残業も嫌がる。
少し痛い目に遭わせてやろう―啓は口端を歪めて笑うと、あの女を陥れる策を練り始めた。
数日後、亮子がいつも通りに出勤すると、みんなが自分を見ていることに気づいた。
「不倫してたんだって・・」
「あのイタイブログの人、貴島さんだったんだ・・」
ひそひそと囁かれる悪意ある言葉に、亮子は恐怖のあまり身を竦めた。
「貴島君、ちょっといいかな?」
部長に肩を叩かれて亮子が自分の席から立ち上がると、そこには険しい顔をしている彼の顔があった。
「貴島さん、あなたが書いているブログについて、社長が質問したいとのことです。」
啓がそう言うと、亮子は目を泳がせた。
「これは、全て事実なのかね?」
武雄は亮子が書いているブログを見せながら、鋭い目で彼女を睨みつけた。
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