イラスト素材提供:White Board様
1905(明治38)年、甲府。
「お義父様、お茶が入りましたよ。」
「有難う、亜紀。」
自宅の縁側で桜の木を眺めていた歳三は、亜紀にそう言って微笑んだ。
「今年も、見事に咲きましたね。」
「ああ。あれは、千尋と一緒に植えた桜なんだ。」
「そうですか。お義母様も、きっと天国で桜の木を見ていらっしゃることでしょうね。」
「そうだな・・それよりも亜紀、お前まだ旦那と喧嘩していやがるのか?」
「ええ。あの人の方から折れるまで、わたしはここでお義父様と子供達と一緒に暮らします。」
「ったく、気が強ぇのはさすが、九州の娘っ子だな。まぁ、俺の姉貴も、大層気が強ぇ女だったがな。」
「お義父様、わたし買い物に行って参ります。」
「気を付けて行って来いよ。」
亜紀が子供達と買い物に出かけて行った後、歳三は茶を飲みながら桜の木を再び眺めていた。
彼はそっと目を閉じると、目蓋の裏に楽しかったころの思い出が甦って来た。
“歳三様”
何処かで千尋の声がして、歳三は少しおかしくなってしまったのではないかと思い始めた。
だが―
“歳三様”
再び千尋の声が聞こえ、歳三が目を開くと、桜の木の前に千尋が立っていた。
「千尋・・本当に、お前なのか?」
“ええ、あなたをお迎えに上がりました。”
千尋はそう言って歳三に微笑むと、白魚のような手を彼に差しのべた。
「お義父様、ただいま戻りました。」
亜紀が買い物を終えて帰宅すると、家の中には誰も居なかった。
「陸男、お祖父様は何処?」
「祖父ちゃんなら、桜の木の下で寝ているよ。」
「まぁ、そう。」
亜紀が桜の木へと向かうと、その幹に背を凭れながら、歳三が静かに眠っていた。
「お義父様、起きてください。こんな所で寝ていては、風邪をひきますよ。」
はじめ、亜紀は歳三が眠っているのだと思っていた。
だが、彼の肩を亜紀が揺さ振ると、彼の身体は大きく傾き、力なく地面に倒れた。
「お義父様、そんな・・」
亜紀は歳三が死んでいることに気付き、子供達に医者を呼ぶよう命じた。
「ご臨終ですね。」
「先生、義父(ちち)は義母(はは)と植えた桜の木の下で眠るように死んでいたんです。」
「そうですか・・きっと、歳三さんを千尋さんが迎えに来てくれたのでしょうね。」
1905年4月2日、元新選組副長・土方歳三は、古希でその生涯を終えた。
幕末の動乱期を息抜き、明治の世を妻・千尋とともに甲府に裁縫学校を設立し、女子教育に力を注いだ。
二人の“子供”というべき甲府裁縫学校は、後に甲府女子大学へと名を変え、平成の世に至るまで数々の著名人を輩出した。
千尋と歳三が自宅の庭に植えた桜の木は、大学の構内に場所を移され、もうすぐ樹齢130年を迎えようとしている。
~了~
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