「ん・・」
柚葉はゆっくりと蒼い双眸を開いた。
(ここはどこだ・・俺は一体・・)
あたりを見渡すと、高価な几帳や屏風などがあり、どこかの貴族の邸であることはわかる。
ゆっくりと身体を起こした柚葉は、身につけていた紅玉がなくなっていることに気づいた。
一体どこで落としたのだろうか?
柚葉の脳裏に、獄吏から連れ出された時のことが甦った。
あの時、あの陰陽師に奪われてしまったのだろうか。
だとしたら、取り戻さなければー柚葉はそう思い、部屋を出た。
田淵ヶ浦灑実は、寝殿で主―藤原種嵩と話をしていた。
「よくやったぞ、灑実。今為人は慌てふためいておるだろう。」
「そうでしょうね。為人が邸に幽閉していた“姫”が、実は男でその上鬼の子であることは本人としては何としても隠し通したいでしょう。そのことがバレてしまったら彼の命はないのですから。」
灑実はそう言って口元に笑みを浮かべながら、柚葉から奪った紅玉を指先で弄んだ。
「それは何だ?」
「“姫”―柚葉から奪ったものです。色といい、形といい、大きさといい、このような美しく良質な紅玉を見たことがありません。」
「貸せ。」
種嵩はそう言って紅玉を手に取り、眺めた。
「美しい・・これをあの“姫”が持っていたとはな。あれは邪魔だが、この紅玉は欲しいな。」
「では“姫”は亡き者にしてもよろしいのですね?」
種嵩は灑実の言葉に静かに頷いた。
「“姫”を始末して参ります。」
部屋を出た柚葉は、寝殿へと向かった。
そこには自分を拉致した陰陽師と、父の政敵がいた。
「・・“姫”が実は男で、鬼の子だったとは・・」
彼は自分の正体を知っていたのだーそう思った柚葉は身体を強張らせた。
柚葉は、灑実が紅玉を持っているのを見て、息を呑んだ。
何としてでもあれを彼から取り返さなければ。
柚葉は息を殺し、静かに灑実の背後に忍び寄った。
「種嵩様、弘?殿女御様はどうなさいますか?」
「あの女は藤原家にとって邪魔者いがいの何者でもないわ。呪詛でも何でもかけて殺してしまえ。」
種嵩がそう言って灑実の方を向いたとき、懐剣を彼に向って振りかざしている“姫”の姿が見えた。
「紅玉を返せ!」
柚葉が刃を振り上げるのと、灑実が印を結び呪を唱えたのはほぼ同時だった。
「急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」
灑実が呪を唱えた瞬間、柚葉は胸に激しい痛みを感じて床に蹲った。
乾いた音がして、懐剣が床に転がった。
柚葉は痛みを堪えながら灑実の手から紅玉を奪い取った。
「お前には呪をかけたぞ、鬼の子よ。」
勝ち誇った笑みを浮かべながら、灑実はそう言って柚葉の髪を掴んだ。
「お前には悪いが、ここで消えて貰おう。」
灑実は太刀を抜き、その切っ先を柚葉の首筋に当てた。
刃が柚葉の柔らかな雪のような肌を傷つけ、真紅の血が紅玉に滴り落ちた。
(もう・・駄目だ・・)
そう思った時、紅玉が突然紅い光を放った。
「何だ・・?」
灑実が紅玉に手を伸ばそうとしたその時、閃光と紅蓮の炎が邸を覆った。
柚葉が顔を上げると、灑実と種嵩は負傷して呻いていた。
紅玉を拾い上げ、柚葉は邸から脱出した。
自宅が見えてきたとき、力が抜けた柚葉は裏門で力尽きて倒れた。
かつて自分が捨てられた裏門で。
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