少女の遺体を載せた救急車がサイレンを鳴らしながら遠ざかるのを見送りながら、黒いフードを目深に被った男はポケットから携帯電話を取り出し、雇い主に電話した。
“もしもし?”
「わたしです。獲物は仕留め損ねました。」
一瞬、向こうが沈黙したのがわかった。
“そうか・・お前という奴が獲物を仕留め損なうなど、珍しいな。”
「申し訳ございません。獲物は金髪蒼眼だと聞いたものでして・・」
“言い訳は聞きたくない。いいかネロ、必ずや皇太子を殺せ。奴はお前の近くにいることを忘れるな。”
「わかりました、ボス。」
男は携帯を閉じ、ポケットから獲物の写真を取り出した。
そこには男の雇い主の部下が隠し撮りした制服姿の聖良が映っていた。
(必ずこの手で仕留めてやるぞ、皇太子・・)
空が徐々に白み始め、朝が来ようとしていた。
「ん・・」
カーテン越しに伝わる太陽の光で、聖良はゆっくりとベッドの中で起き上がった。
久しぶりの夜勤で身体のあちこちが痛い。
やっぱりもう年なのかと思いながら、聖良はコーヒーメーカーのスイッチを入れた。
コーヒーを淹れている間に簡単な朝食を作りながらテレビを見ていると、昨夜銀座の交差点で女性がトラックに撥ねられて死亡したというニュースがやっていた。
“死亡したのは東京都内の高校に通う西崎歌奈さん・・”
キャスターのナレーションと共に画面に少女の写真が映し出された。
聖良はその写真を見て愕然とした。
そこには昨夜、自分にカッターナイフで斬りつけた少女が映っていた。
(彼女が・・死んだ?築地署を出た後に・・一体彼女に何が・・)
作り終えた朝食をテーブルに置きながら、聖良は画面に映し出された少女の写真を食い入るように見つめていた。
「マジかよ・・」
その頃、新宿歌舞伎町に近いマンションの一室で、裕樹もそのニュースを見ていた。
歌奈とは遊びのつもりで付き合ったつもりだった。
だが彼女は本気で自分の事を愛していて、黒かった髪を金髪に染め、ブルーのカラコンを付け、外見だけは聖良に似せようと頑張っていた。
しかし一度歌奈から離れてしまった心を彼女は繋ぎ止めることはできず、裕樹は歌奈が次第に鬱陶しくなり、一方的に別れを切り出した。
その結果歌奈は聖良を襲い、警察署を出た帰りに命を落とした。
(馬鹿な女だ。俺が遊びで付き合ってたのに、マジになりやがって・・)
産まれた時から親に蔑ろにされ、その存在を常に否定され続けてきた裕樹にとって、自分の家庭を持つことなど露ほどにも思ってはいなかった。
よく親から虐待された子どもはそれを反面教師にして生きるというが、それは一部の人間だけで、大半は親にされたように自分の子どもを虐待する方が多い。
自分もその人間の1人だということを、裕樹はわかっていた。
幸せな家庭など自分に作れるはずがない。だから歌奈から妊娠を告げられた時には戸惑いと怒りしかなかった。それか、歌奈が自分とヨリを戻したくて嘘を吐いているのではないか、という疑念しか湧かなかった。
産まれてくる命への喜びなど、一切なかった。
「俺はまともな人間じゃねぇんだから、親になんかなれやしねぇ・・」
裕樹は乾いた笑い声を上げながら、コーヒーを飲んだ。
その時頬に冷たいものが流れているのを感じた。
それが自分の涙だと気付いた時、こんな冷血な自分でも元カノの死を悼む涙を流すことができるのかと、裕樹は思った。
(俺はあいつのこと何とも思っちゃいなかったってのに・・あいつの死を悲しむことはできるなんてな・・おかしいよな・・)
裕樹は自嘲の笑みを浮かべ、炎天下の街へと出かけて行った。
その頃非番の聖良は電車を乗り継ぎ、あるところへと向かっていた。
「久しぶりだな・・ここに帰って来るの。」
煉瓦造りのカトリック教会の前には“白百合の家”という表札があった。
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