「ねぇ、あの人でしょう?」
「そうよ、あの人よ、不倫して子ども捨てたっていう・・」
「おとなしそうな顔をして、やることはやっているのねぇ・・」
事務室に入る前、給湯室に居た仲居たちが顔をつき合わせながら、香帆のほうを時折チラチラと見てはヒソヒソ話をしていた。
彼女達も、あのサイトを見ているのだろうか。
「おはようございます・・」
香帆が彼女達に挨拶すると、彼女達はそそくさと給湯室から出て行った。
「何あれ、かんじ悪い!気にしない方がいいよ。」
「は、はい・・」
のぞみとともに事務室へと戻り、香帆は何も考えなくてもいいように仕事をした。
「お昼休憩、何処行く?」
「お弁当、作ってきましたから。」
「そう、じゃぁあたしは外で食べてくるね!」
「お気をつけて。」
のぞみが事務室から出て行ってドアが閉まると、そこはしんと静まり返った。
香帆以外、事務スタッフは昼休憩の為ランチを食べに行っていて誰も居ない。
香帆は溜息を吐きながら弁当箱の蓋を開けると、そこには歳三が早起きして作ってくれた色とりどりのおかずとご飯がある弁当が入っていた。
「いただきます・・」
両手を胸の前で合わせ、香帆は箸を手に持ち弁当を食べ始めた。
その時事務室のドアが開き、給湯室で会った仲居が入ってきた。
「それ、ご主人に作って貰ったの?」
「はい・・」
「ふ~ん、愛されてるのねぇ。」
無遠慮な視線を香帆に向けながら、仲居はそう言うと弁当を見た。
「ねぇ、ちょっと味見してもいいかしら?」
「え?」
「その卵焼き美味しそう!」
あっという間に、仲居はいつの間にか手に携えていた割り箸で卵焼きを摘むと、香帆が抗議する暇を与えずにそれを口の中へと放り込んだ。
「何するんですか!」
「そんなに怒ることないじゃない。たかが卵焼きひとつくらいで。あんたよりも捨てられた子ども達のほうが、よっぽど辛い思いしてるんだから。」
「それは・・」
夫の元に残されてきた子ども達のことを思うと、香帆は何も言い返せなかった。
「じゃぁ明日も宜しくねぇ~!」
何も反論できない香帆を見て満足気な笑みを浮かべた仲居は、そう言うとさっさと事務室から出て行った。
「ただいま。」
「どうした、元気ないな?もしかして、誰かにいじめられたのか?」
「まぁね。彼女達がわたしに文句のひとつやふたつ言いたいのも、わかる気がする。歳兄ちゃんは?」
「似たようなもんだよ。まぁ、そういう奴は相手にするな。」
「わかった・・」
翌朝から、あの仲居たちに対する香帆への陰湿ないじめが始まった。
決済書類を隠したり、私物をロッカーから盗んだりするというものだったが、香帆が少しも動揺している様子がないので痺れを切らしたのか、彼女達は裏サイトの掲示板で彼女の噂をばら撒いた。
“香帆は股が緩い変態女”
その書き込みと共に、過去に千尋が撮影した歳三との情事を撮影した動画のURLが張られており、その下には香帆の携帯番号とアパートの住所や連絡先、更には二人の子どもの顔写真や氏名などが記載されていた。
香帆とその家族の個人情報が書き込まれて数時間も経たない内に、香帆の携帯に100件ほどの非通知電話がかかってくるようになり、やがて旅館にも悪戯電話がかかってきて業務に支障をきたすようになった。
「土方さん、あなたには悪いけれど、ここを辞めて貰うわ。」
(どうして・・どうしてこんなことに?)
同僚からの理不尽ないじめに遭い、一方的に解雇された香帆は、途方に暮れながらアパートへと戻った。
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