「岡崎君、だっけ?後で携帯の番号教えてよ。」
「あの、それは・・」
「いいじゃん、別に。教えてったら。」
荒谷はそう言うと、千尋の手を握った。
どうすればいいのか解らずに千尋が困惑していると、総司が大部屋に入ってきた。
「あれぇ、荒谷さん僕のファンじゃなかったの?どうして千尋ちゃんの手を握ってるのかなぁ?」
「総司君、久しぶり。元気だった?」
「まぁね。千尋ちゃん、一旦ナースステーションでカルテの整理お願いね。」
「はい。では失礼します。」
千尋はそう言って総司に頭を下げて大部屋から出て行くと、擦れ違いざまに彼はこう千尋の耳元に囁いた。
「後で飲みに行こうね。」
「は、はい・・」
ナースステーションに戻ると、そこには看護師長の楠田が居た。
「岡崎さん、職場にはもう慣れた?」
「はい。でもこの制服には慣れません。」
「そうよねぇ。この制服を採用したのは前院長の息子さん・・今の院長先生だから、もう少し前に生まれていればよかったわねぇ。」
そう言って笑う楠田は、実用性が高くてシンプルなパンツスタイルのナース服を着ていた。
彼女達がこの病院に看護師として勤務しはじめた時代は、まだ今は亡き前院長が実権を握り、ひたすら合理性と利便性を追求した彼は、旧態依然な病院のスタイルや陋習(ろうしゅう)をよしとせず、病院内で様々な改革を起こし、その結果病院内に新しい風が吹いたー筈だった。
前院長がポロの試合中に落馬して急逝し、病院の実権が現院長である息子・雅信に移った時、脳に虫が湧いてしまったのかどうかは知らないが、こんなふざけた制服を採用したのだ。
雅信は人の命を預かる病院を何だと思っているのだろう。
こんな制服を着たナースに囲まれたいのなら、コスプレ専門店へ行けばいいのだ。
「ここに来たのは、総司君に助けられたのね?」
「ええ・・」
「荒谷さんには気をつけなさいよ。あの人、新人ナースには片っ端から声を掛けるからねぇ。」
楠田がそう言ったとき、あの個室からナースコールが響いた。
「あの師長、個室の人はどなたですか?」
「ああ、土方さん?左半身に火傷を負ってここに運び込まれてきたのよ。岡崎君、悪いけれど包帯の交換お願いできるかしら?」
「解りました。」
包帯と消毒薬を載せたワゴンを押しながら、千尋は土方という患者が居る211号室へと向かった。
「土方さん、包帯の交換です。入りますよ?」
「・・ああ、入ってくれ。」
「失礼します。」
千尋がワゴンを押しながら病室に入ると、ベッドで読書をしていた患者―土方が本から顔を上げた。
「見ねぇ顔だな、新人か?」
「岡崎です、宜しくお願いします。包帯、交換しますね。」
「ああ、頼む・・」
千尋が古い包帯を取り外すと、ケロイドが左の首筋から足首に掛けて現れた。
「醜いだろう?まぁ、顔だけでも火傷しなかったからいいけどよ。」
土方は自嘲気味にそう言って笑うと、千尋を見た。
「あの、昨日訪ねに来た・・」
「ああ、あれは・・」
土方がそう言って次の言葉を継ごうとした途端、彼は喉を押さえて苦しみ始めた。
「土方さん、どうしました?土方さん?」
千尋はナースコールを押そうとすると、土方は彼の手を払った。
「呼ぶな!すぐに治まる・・」
「ですが・・」
「呼ぶなっつってんだろ!」
土方は千尋に怒鳴ると、紫紺の瞳で彼を睨みつけた。
「すぐに治まるから、呼ぶんじゃねぇぞ。」
だが土方の様子を見る限り、一刻を争うものだと判断した千尋は、ナースコールを押した。
「どうしたの?」
「土方さんが喘息の発作を起こして・・」
「岡崎さん、吸入器持ってきて!」
「はい!」
数分後、千尋が吸入器を持って土方の病室に戻ると、彼は看護師を怒鳴りつけていた。
「うるせぇ、触るんじゃねぇ!」
「土方さん、落ち着いてください!」
「薬なんかいらねぇんだよ!すぐに治まるんだから・・」
土方は苦しそうに呼吸をしながら、爪で喉元を引っ掻いた。
怒鳴った所為か、顔がますます蒼褪めていった。
「土方さん、落ち着いてください。ゆっくり呼吸してください。」
千尋が土方の口元に吸入器を当てようとすると、彼はそれを拒絶するかのように暴れた。
「お願いですから、落ち着いてください!」
千尋は無理矢理土方の口に吸入器を当て、彼の両肩を押さえた。
土方は千尋を睨みつけていたが、やがて規則正しい呼吸を始めた。
「土方さん、落ち着いたようね。」
「すいません、余計なことをしてしまって。」
「いいのよ。それよりも岡崎君、今日時間ある?」
「あの、沖田先輩達と飲みに行く約束がありまして・・」
「そう。じゃぁわたしも行っていい?」
「え・・それは構いませんけど・・」
数時間後、千尋は楠田師長と総司、斎藤に囲まれながらイタリア料理店で飲んでいた。
「ふぅん、千尋ちゃんがあの気難しい土方さんを黙らせたんだぁ。結構やるねぇ。」
総司はそう言うと、ピザを一口頬張った。
「あの、土方さんってどんな患者さんなんですか?」
「ああ、千尋ちゃんは知らないのは当然だよね?実はあの人、あんな事がある前はそこそこ有名な騎手だったんだよ?」
「騎手?土方さんがですか?」
千尋の蒼い瞳が驚きで大きく見開かれた。
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