「その顔、どうされたんですか?」
「ちょっとぶつけてしまって・・」
そう言って恵は歳三に誤魔化したが、どう見ても“うっかりぶつけてしまった”ような痣ではなかった。
「もしかして、あいつにやられたんですか?」
「いいえ、違います!」
「義姉さん、俺は誰にも言いませんから、正直に話してください!」
「歳三さん、わたしの事は放っておいてください!」
恵は急に居たたまれなくなり、キッチンから出て行った。
「待ってください、義姉さん!」
慌てて嫂の後を追おうとした歳三だったが、菊恵がそれを止めた。
「おやめなさい、歳三さん。」
「お祖母様、義姉さんはあいつに暴力を振るわれているんですよ!放っておくつもりですか!?」
「わたくしの部屋に来なさい。」
有無を言わせぬ口調で菊恵はそう言うと、歳三を自分の部屋へと連れて行った。
「嘉久が恵さんに暴力を振るっていることは、前から知っておりましたよ。」
「では、何故止めないのですか?」
「あの子・・嘉久は、父親から暴力を振るわれていたのですよ。」
「それは、確かなのですか?」
「ええ。あの子・・正嗣は年齢の所為か今は丸くなっていますけどね、昔はカッとなって、子ども達や静江さんに手を出していましたよ。特に嘉久は長男だから、厳しく躾けなければと正嗣は思ったのでしょうね。些細な事でも嘉久を怒鳴りつけ、殴っていましたよ。」
「じゃぁあいつが義姉さんに暴力を振るっているのは、親父の影響だということですか?」
「ええ。歳三さん、わたくしはこの問題を黙認するつもりはありませんよ。たとえ夫婦間で起きた事でも、嘉久が恵さんに暴力を振るっていることは許せないわ。一度、当事者同士で話し合いの席を設けようと思っています。」
「それは得策とは言えませんね。義姉さんは、あいつを恐れています。」
歳三は、怯えた恵の顔を思い出した。
彼女は自分達に何かを隠している。
その“何か”が、歳三にはわからなかった。
「お祖母様、少しお耳に入れたい事があります。」
「何かしら?」
「今日、事務の伊勢崎さんと一緒に飲んだのですが・・彼から、嘉久さんが学校の金を横領していると聞きました。さらにその金で愛人に貢いでいるとか。」
「まぁ・・わたくしの目を盗んで、嘉久はそんな事を!」
菊恵はそう言って怒りで身を震わせた。
「あいつが横領しているという決定的な証拠を掴むまで、暫くこの件は俺に任せていただけませんか?」
「好きになさい。歳三さん、やはりあなたが来てくれて本当に良かったわ。」
菊恵はそっと歳三の手を握ると、彼に微笑んだ。
「ではお休みなさい、お祖母様。」
「ええ。」
歳三が菊恵の部屋から出て行くと、廊下に一人の少年の姿があることに彼は気づいた。
「ねぇ、トイレ一緒について来て欲しいの。」
「それ位、一人で行け。俺は眠いんだ。」
歳三はそう言って少年を冷たく突き放したが、彼は突然大声で泣き出した。
「おい、うるせぇぞ!」
「まぁ聡、どうしたの?」
「義姉さん、これは・・」
「歳三さん、わたくし達の事は放っておいてくださいな!」
我が子を抱き寄せた恵はそう言ってキッと歳三を睨み付けると、寝室のドアを彼の鼻先でピシャリと閉めた。
彼女に完全に嫌われてしまったな―歳三はそう思いながら溜息を吐き、自分の部屋へと戻った。
翌朝、彼は恵の悲鳴と嘉久の怒声を聞いて目を覚ました。
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