栗田の最期は、あっけないものだった。
切腹の作法を全く知らない彼は、用意された小刀に手を伸ばしたとき、介錯役を務めた斎藤に首を落とされた。
千はその様子に目を背けることなく、彼の最期を見守った。
「こいつのようになりたくなきゃぁ、脱走なんざ考えるなよ、わかったな!」
歳三がそう叫んで隊士達を睥睨(へいげい)すると、彼らは一様に頷いた。
「これで、他の隊士達に示しがついたろう。」
「トシ、余りにも厳しいと、今後も隊士が脱走するかもしれんぞ?」
「そん時は、そん時に考えりゃぁいい。会津藩の手を煩わせることはねぇさ。」
さらりとそう言ってのける歳三の横顔をちらりと千は見ながら、新選組で最も死者を出したのは戦闘ではなく、規律違反による内部粛清であったということを思い出した。
巨大な組織をまとめ上げるには、厳しい規律が必要である。
局長である近藤を陰から支え、副長として新選組を纏める歳三がいかにも考えそうなことである。
今回の栗田の脱走と、彼の切腹は、一種の見せしめだった。
違反者が出れば、即ちそれは死に直結するーそれが、狼の巣の絶対遵守の掟だ。
「千、どうした?」
「いえ、何でもありません。」
「暫く俺は副長室に籠っている。客が来たら、俺は今手が放せないと伝えておけ。」
「わかりました。」
千が厨房で昼餉の用意をしていると、原田がやって来た。
「千、お前に女の客だぞ。」
「女のお客様、ですか?」
「ああ、偉い別嬪(べっぴん)さんだ。早く行って来いよ。」
千が厨房から門へと向かうと、そこには鈴江が立っていた。
「鈴江さん、どうしてここがわかったのですか?」
「道場の門下生の方にあなたのことをお聞きしたら、あなたがここにいらっしゃることを知ったので、伺いました。」
「そうですか・・申し訳ありませんが、今手が放せないのです。」
「わかりました。では、今夜うちにおいでくださいな。お待ちしております。」
鈴江はそう言って千に微笑むと、そのまま彼に背を向けて門から外へと出て行った。
その日の夜、千が鈴江の居る置屋へと向かうと、玄関先には柄杓を持って打ち水をしている中年の女性が立っていた。
「すいません、鈴江さんに会いに来たのですが・・こちらにご在宅でしょうか?」
「ああ、鈴江はんなら、今お座敷に出てはります。」
「そうですか・・」
女性に置屋の中へと通され、千が鈴江の帰りを暫く待っていると、そこへ黒紋付の正装姿の鈴江が部屋に入って来た。
「お待たせしてしまって、申し訳ありませんでした。」
「いいえ。」
千ははじめて鈴江の芸妓姿を見て、その美しさに暫し見惚れてしまった。
「初めて鈴江さんの芸妓姿を拝見いたしましたが、綺麗ですね。」
「有難うございます。この世界に長い事身を置いてきておりますが、お世辞ではない褒め言葉を初めて聞きました。」
鈴江はそう言うと、鈴を振るような声で笑った。
「千さんをこちらにお呼びしたのは、話したいことがあるからです。」
「話したいこと、ですか?」
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