「申し訳ございません、大したおもてなしもできずに・・」
「いや、いいんだ。君と土方さんが夫婦になったことを知って驚いたのはつい昨日のことのように思えてしまうよ。」
斎藤はそう言って千尋に笑いかけた。
「そうですね。巽をあやしたり、家事をしている時にふと、昔の事を思い出してしまいます。」
針仕事をしながら、千尋は溜息を吐いた。
歳三と千尋が結婚し、夫婦となったのは戊辰の戦の頃だった。
先に会津へと向かった斎藤の元へと向かおうとした歳三であったが、宇都宮の戦いで砲撃に遭い、右足を負傷してしまい、療養生活に入る羽目になってしまった。
一刻も早く会津に駆けつけたいと思う歳三であったが、心は逸るばかりで右足の傷が癒えるのには時間がかかり、次第に彼は焦りと苛立ちを増していった。
そんな中、千尋が彼の部屋に入ると、そこでは歳三が軍服を着て刀を腰に差していた。
「どちらへ行かれるのですか?」
「会津に決まってんだろ。」
「なりません、まだ傷の具合が・・」
「うるせぇ、お前は引っ込んでろ!」
歳三の苛立った声に対し、千尋は彼の前に立ちふさがり、腰に差していた刀を抜き、その刃先を首筋に押し付けた。
「やめろ、千尋!」
「共に死にましょう、副長。戦場に赴くというのなら、わたくしの屍を越えて行かれませ!」
「畜生、卑怯だぞ・・」
歳三はそう言って畳の上に胡坐をかいた。
「今あなた様が焦っておられるのは解ります。ですが、今の状態では足手まといになるだけです。」
会津の戦いや函館の戦いでも、千尋は常に歳三の傍に居た。
いつしか歳三にとって千尋の存在はなくてはならないものとなった。
「千尋、頼みがある。」
函館で右脇腹を負傷し、病院で臥せっていた歳三は、そう言って千尋の手を握った。
「何でしょうか?」
「俺と・・夫婦になってくれねぇか?」
「承知しました。」
祝言を挙げなかったが、千尋と歳三は斎藤や島田達に祝福され、夫婦となった。
小さな長屋でのささやかな暮らしが、戦場を離れた二人にとっては幸せだった。
「斎藤先生、何かあったのですか?」
「ああ。土方さんをつけ回す男が居てな。どうやら旧幕府軍に与していた藩士達が、反乱を起こすらしい。」
「まぁ・・それで、旦那様はなんと?」
「断ったそうだ。だが向こうが諦めてくれるかどうか。それに、軍服姿の男達が俺達のことを探っていたようだし。千尋君、これから仕事へ行く時は一人きりで出歩いてはいけない。」
「はい、解りました。」
斎藤の忠告を受けた千尋は、翌日小瀬子爵邸へと向かう時、隣の長屋に住んでいるつねと途中まで向かった。
「ではつねさん、わたくしはこれで。」
「ええ、気をつけてね。」
千尋が小瀬子爵邸の玄関ホールに入ると、リビングの方からご婦人達の笑い声が聞こえた。
「失礼致します、奥様。」
「まぁ千尋さん、朝早くから悪いわね。見て頂戴。」
るいはそう言うと、ドレスを着た椿を彼女の前に出した。
「お嬢様、良くお似合いですわ。」
「あなたのお蔭よ、ありがとう。」
「伯母様、そちらの方は?」
テーブルから誰かが立ち上がる気配がしたかと思うと、有沢麗子が千尋達の方へとやって来た。
「あなた・・あの時の・・」
「まぁ麗子さん、千尋さんを知ってるの?」
「ええ。また会えるだなんて、嬉しいわ。」
差しだされた麗子の手を、千尋は握ろうとはしなかった。
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