「で? こんな婆と踊った訳を聞かせてくれねぇかい?」
「理由などありません。ただ、先ほど女性達があなたのことを噂していたものですから・・」
ルドルフはそう言うと、ブラック・レディを見た。
「ふん、どうせまた碌な事話してねぇんだろ? まぁ、年増女と結婚する若ぇ男の気がしれねぇんだろうよ。」
彼女は朗らかな声で笑うと、澄んだ黒い瞳でルドルフを見た。
肌は雪のように白いが、髪も瞳も黒いのは東洋人だと彼は一目で解った。
東洋の女は西洋の女と比べて幼く見えるときくが、ブラック・レディは40をとうに過ぎているというのに、顔には皺が全く目立たない。
「珍しいか? 珍しいよなぁ、お前らにとっちゃ東洋の女にお目にかかるのは売春宿以外何処にもねぇもんなぁ。」
「もしかして、あなたは・・」
「一時期春を鬻いでいた時期があったなぁ。もう随分昔の事だがな。」
ブラック・レディはそう言うと、ルドルフを見た。
シャンデリアの光を弾いて、漆黒の双眸が一瞬緋に光ったような気がした。
「アレキサンドライト・・」
光の反射によって色を変える宝石―ブラック・レディの瞳は、その不思議な宝石に見えた。
「あなたの名前はなんと?」
「・・名も何もねぇよ。本当の名なんざとうに捨てちまった。」
彼女がフッと寂しげに口元に笑みを浮かべると、ルドルフから離れた。
「楽しい夜をありがとよ。」
「待ってくれ・・」
ルドルフは慌てて後を追おうとしたものの、ブラック・レディは既に大広間から姿を消していた。
「ルドルフ様、ミッチェルですわ。」
「初めまして。」
恥じらいながら自分に挨拶する令嬢に、ルドルフは愛想笑いを浮かべた。
「さぁ、踊りましょうか?」
「喜んで。」
大広間から流れてくる音楽と話し声を聞きながら、ブラック・レディは溜息を吐きながら廊下を歩いていた。
ああいった場所はなかなか好きになれない。
昔から、自分は他の女達と違って髪を結うことも、振袖を着る事もなく、長い髪を一纏めに結んで男物の着物を着て剣術や薬の行商をしていたのだ。
女だからといって、男がする剣術や喧嘩を一方的に“するな”と言われ、それに従う性分ではなかったし、寧ろ周囲に己の事に色々と指図されて堪るかという思いで生きてきたのだ。
だから、親友の近藤勇と組んで暴漢を倒したりしたし、京で「鬼の副長」として采配を振るってきたのだ。
しかしそれはもう、過ぎたことだ。
今自分は宮廷貴族の妻であり、好き勝手に生きた時期は既に終わっている。
(自分が好き勝手できた時期が懐かしいなぁ・・)
しんと静まり返ったアウグスティーナ教会の信徒席に座りながら、彼女は懐かしみながら溜息を吐いていた。
「そこに、誰かおられるのですか?」
背後に澄んだ声がして彼女が振り向くと、そこには黒衣のカソックを身に纏った若い司祭が一人、教会に入ってくるところだった。
「すいませんね、ちょっと疲れていたものですから。」
彼女はにっこりと笑うと、アウグスティーナから出て行った。
舞踏会から数日後、ルドルフは友人達とともに趣味の狩猟に出かけ、森の中で獲物を追っていた。
「ルドルフ様、あちらに大物が!」
木々の隙間から2メートルの牡鹿が姿を現し、ルドルフが猟銃を構えて牡鹿を撃とうとした時、何かが牡鹿の額に突き刺さり、牡鹿は横転した。
何だろうとルドルフ達が駆け寄ると、丁度黒の乗馬服を纏ったブラック・レディが牡鹿の額から長槍を抜くところだった。
「なんだ、誰かと思ったらあんたか。」
ブラック・レディはそう言って笑うと、長槍の穂先を振るい、牡鹿の血を乱暴に懐紙で拭った。
舞踏会の時とは違い、男物の乗馬服を纏った彼女は、凛々しく見えた。
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