「済まないねぇ、こんな時間に突然来て、迷惑だったかな?」
「いいえ。いらしてくださってありがとうございます、山田社長。コーヒーお淹れしますね。」
「ああ、頼むよ。うんと濃いやつを淹れてくれ。」
そう言って千尋に微笑む男は、山田恭介。
彼は全国で焼肉チェーン店を展開しており、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いである。
「昨日東京支社で会議があってね。衛生管理を徹底しないといけないから、色々と気疲れしそうだよ。」
「そうですか。食中毒はこれからの季節が要注意ですものね。この前社長が経営されていた一号店に行きましたが、サービスも料理も満点でした。従業員の教育が行き届いていますね。」
「まぁね。あの店はもともとわたしの母が始めたものなんだ。満州で終戦を迎えて命からがら引き揚げて来て、父と一緒に慣れない土地で食堂を始めた。決して豊かではなかったけど、食堂には毎日客が大勢来て、母の料理を食べた彼らの笑顔が嬉しかったんだ。それが僕の原点かな。」
「お母様のご遺志を継がれた社長はご立派ですわ。はい、濃いコーヒーです。」
「ありがとう。そういえば千尋ちゃん、今度の連休旅行するんだって?」
「ええ、まぁ・・ママも予定があるとかで。」
「そうか。暫くママと君に会えないのは残念だけれど、僕も今度の連休に勧告に戻ることになったんだよ。」
「韓国に?」
「ああ、束草(ソクチョ)に両親の墓があってね。親戚と久しぶりに酒を飲み交わそうかと思っているんだ。」
「そうですか。土産話を楽しみにしておりますね。」
「ああ。おっと、もうこんな時間だから、行くよ。じゃぁね。」
山田社長はそう言うと、千尋の部屋から出て行った。
「お気をつけて。」
彼をエントランスで見送った千尋は、溜息を吐いて部屋へと戻っていった。
これから旅の準備をしなければ―寝室に入った千尋はクローゼットを開けてスーツケースを引っ張り出し、東京へと着てゆく服を整理した。
「土方先生、おはようございます。」
「おはようございます。」
歳三がデスクワークをしていると、弥生がしなを作りながら彼に近づいてきた。
こんな勘違い女は苦手だ。
派手なファッションに身を包み、男だとわかればところかまわず声をかけようとする。
周りからちやほやされると思い込んでいる弥生に、歳三は苦虫を噛み潰したかのような顔をした。
「あの、今日はお昼ご一緒できませんか?」
「すいません、今日は・・」
「土方先生、失礼します。」
職員室のドアが開き、千尋が歳三達の元へと駆け寄ってきた。
「今日はお弁当作ってきたんで、食べてくださいね。」
「おう、ありがとな・・」
「じゃ、わたしはこれで。」
千尋が勝ち誇ったような笑みを浮かべながら弥生を見ると、彼女は怒りで顔を赤く染めた。
「岡崎さん、待ちなさい!」
「何か?」
千尋が振り向くと、鬼のような形相を浮かべた弥生が立っていた。
「あなた、昨夜中洲に居たでしょう?あんな時間にあそこで何をしていたの?」
「そげな事、先生には関係ないでしょう?もう授業なんで行きますね。」
「こら、ちょっと・・」
千尋を慌てて追おうと弥生は走り出したが、つんのめって派手に転んでしまった。
「何あれ、ダッサ。」
「イタ過ぎ・・」
くすくすと笑いながら自分のそばを通り過ぎてゆく生徒達の声を、弥生は聞きながら屈辱に震えていた。
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