『それにしても、ホテルに就職することは決めたのかい?』
『ええ。明日にでも社長に返事をしてきます。』
『そうかい。暫く忙しくなるね。』
清子はそう言って茶を飲んでいると、隼人が家に入ってきた。
『お母さん、ただいま帰りました。』
『お帰り。』
隼人が頻繁に清子の家を訪ねてくることを、歳三は不審に思い始めていた。
香苗と二人の子ども達の元に帰らなくてもよいのか―歳三はそう思いながらも、隼人を見た。
「親父、最近ここに入り浸ってるようじゃねぇか?あの人の元には帰らなくてもいいのか?」
「ああ、そのことだが、離婚したんだよ、彼女とは。」
「そうか。」
「子ども達の親権は彼女が取ってね、養育費は要らないから別れてくれとだけ言われた。」
自分達を捨て、香苗と不倫した挙句、その結婚まで駄目になってしまうとは。
隼人はよほど結婚運がないらしい。
「恵津子はどうしている?」
「お袋ならぴんぴんしてるさ。ま、あんたには関係のないことだけどな。」
「そうか・・女っていうのは、逞しいもんだな。それに比べて男は感傷を引きずるものだ。」
「よく言うぜ。」
歳三はそう言うと、缶ビールのプルタブを開けた。
「これからホテルで働くことになるんだって?大変そうだな。」
「まぁ、接客業に突いては素人だからな。生まれ変わるつもりでがんばるさ。」
この国で生きてゆこうと心に決めた歳三は、ビールを美味そうに飲んだ。
翌日、歳三はロイヤル・ホテルを訪れ、スヨンにホテルで働くことを話した。
「そう・・あなたならそうすると思ったわ。これから宜しくね、ヨンイルさん。」
「宜しくお願いします、社長。」
歳三がそう言って頭を下げると、スヨンは彼に微笑んだ。
『ねぇ、聞いた?今日から新しい人が入ってくるんだって?』
『噂だと、社長じきじきにスカウトしたらしいわよ!』
『どんな優秀な人なのかしら、今から楽しみだわ!』
朝礼時間となったホテルでは、今日から新しく入ってくるスタッフの事で皆噂していた。
『皆さん、今日から皆さんと一緒に働くことになったチェ=ヨンイルさんです。』
『チェ=ヨンイルです、宜しくお願いします。』
歳三がそう言ってスタッフ達に挨拶すると、女性スタッフ達は嬉しそうな顔をしていた。
『じゃぁヨンイルさん、今日からフロント業務について頂戴。仕事は主任のイさんから教わって。』
『解りました。』
フロントスタッフの主任・イ=ジョンシクは、厳しそうだが親切そうな男だった。
『接客業の経験はないと聞いたよ。一から接客業を学ぶには、フロントが一番だ。お客様と一番接する場所だからね。』
『はい・・』
『そう固くならなくてもいいよ。誰でもはじめは素人だからね。』
ジョンシクはそう言うと、歳三ににっこりと笑った。
彼にフロント業務を教わりながら、ランチタイムを迎えた歳三は溜息を吐きながら煙草を吸った。
(慣れねぇな、接客業ってのは・・)
「あ~、疲れたなぁ・・」
歳三が吸い終わった煙草を吸殻に揉み消すと、壁にもたれかかった。
「大変そうですね、先輩。」
「ミジュ、どうしてここに?」
「わたしもこのホテルに就職したんです。といっても、調理部の方ですが。」
調理師の制服を着たミジュは、そう言って歳三に微笑んだ。
「そうか。俺はフロントの方だよ。」
「色々と忙しいので、これからお互いがんばりましょうね。」
「ああ。」
ホテルでミジュと再会し、歳三は少し疲れが吹き飛んだ。
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