『父の会社が倒産したのは、あなたと別れて何年か経った後よ。それからはもう、地獄だったわ。』
コーヒーを飲みながら、ソンヒは当時のことをポツリポツリと話し始めた。
『父は金策に駆けずり回り、碌に睡眠や食事も取らない日々を送っていたわ。その無理が祟って、父は倒れてしまったの。』
『それで、旦那はどうしたんだ?』
『夫はわたしの実家が破産寸前だと知ると、一方的に離婚届を送ってすぐに別れたわ。他に女が居て、更に子供まで居たって聞いたときは、怒りを通り越して呆れたわ。わたしと結婚したのは、金が欲しかったからだって。』
没落した両班の令嬢は、そう言って自嘲気味に笑った。
『それで、これからどうするんだ?』
『借金を返すだけよ。できるだけ早くね。親戚はみんな縁を切ったから、わたしが自分の身体で稼ぐしかないのよ。』
『そうか。親父さんをどうして捨てたんだ?』
『父はあの通り、プライドの高い人でね・・それは身体が不自由になっても変わらなかったのよ。最初の内は我慢していたんだけれど、もう限界で・・』
ソンヒはそう言葉を切ると、コーヒーを飲んだ。
『親父さんが行きそうなところはあるのか?』
『いいえ。あの人とはもう連絡を絶っていて、今どこにいるのかさえわからないわ。ヨンイル、わたしもう行かなくちゃ。』
ソンヒはさっと椅子から立ち上がると、コーヒーショップから出ていった。
家へと帰る地下鉄の中で、歳三はソンヒ父娘を取り巻く厳しい状況に驚くとともに、ソンヒの父・テジュンが今どこにいるのかが気になって仕方がなかった。
乗り換えの為電車から降りて向かいのホームへと歳三が移動していると、突然罵声が切符売り場付近から聞こえた。
何事かと歳三が人だかりの出来ている場所へと向かうと、そこには数人の若者達が一人の老人を取り囲んで罵声を浴びせていた。
『おい、なめてんじゃねぇぞジジイ!』
『さっさと金よこせよ!』
『おい、てめぇら何してんだ!』
歳三が慌てて彼らの間に割って入ると、地下鉄の職員が警笛を鳴らしながら彼らの方へとやって来た。
『大丈夫ですか?』
歳三は地面に倒れているホームレスを抱き起こそうとしたとき、そのホームレスがテジュンであることに気づいた。
眼鏡は壊れ、服はボロボロで所々すえた臭いがしていた。
昔自信に満ちあふれ、デザイナーブランドのスーツを着こなしていたエリートビジネスマンであった彼の姿は、その面影すら残っていなかった。
『き、君は・・』
『歩けますか?すぐに病院に連れて行きますからね。』
テジュンの肩に手を回し、彼を支えながら歳三はソウル市内の病院へと向かった。
『軽い打撲だけで、命に別状はありませんよ。ご家族の方ですか?』
『いいえ、知り合いです。』
一瞬病院に置いて帰ろうかと思った歳三だったが、テジュンを見捨てておけずに家へと連れて帰った。
『あんた、なんて姿だい!』
玄関先で変わり果てたテジュンの姿を見た清子は、思わずもやしを放り出しそうになった。
『ばあさん、テジュンさんを風呂に入れてもいいか?』
『わかったよ。一体どこでこの人を拾ったんだい?』
『地下鉄の構内でだよ。風呂に入れた後、少し休ませないと。』
テジュンを歳三が風呂に入れている間、ソンヒがやって来た。
『ヨンイル、まだ居るかしら?』
『あぁソンヒ、丁度良かった!さっきあんたの父さんをヨンイルが連れて来たよ!』
『まぁ、何ですって!?』
ソンヒの目が、驚きで大きく見開かれた。
その頃、千尋はソウル市内にあるデパートで娘の同級生達へのお土産などを買っていた。
(あれ、歳三さんにいいわね。)
ふと紳士服コーナーを通り過ぎた千尋は、ショーウィンドウに展示されているスーツを見てその値段を確かめたが、余りにも高すぎて諦めた。
娘達の教育にこれから金がかかるというのに、あんなに高級なスーツを買う余裕はうちにはない。
彼女がデパートを後にしようとした時、誰かとぶつかった。
『あ、すいません・・』
『大丈夫ですか?』
ぶつかった男に謝ろうとしたとき、相手が夫の前の職場の上司であるハン=ソンジュであることに気づいた。
『お久しぶりです、副支配人。』
『誰かと思ったら、チェさんの奥さんじゃありませんか?』
ソンジュは何を思ったのか、そう言って笑った。
にほんブログ村