電話の相手は、歳三の職場であるロイヤル・ホテル東京からだった。
「はい・・わかりました・・はい。」
歳三はそう言ってメモ用紙片手に、彼は上司と何か話しをしていた。
「どうしたの?」
「ああ、昨日いろいろと問題があって・・明日出勤することになっちまったんだ。」
「そう。じゃぁうちが一人で行くしかなかね。」
「ああ、悪いな。」
「仕方なかよ、仕事やもん。」
翌日、千尋は娘達に歳三が仕事で参観日に来られないことを話すと、彼女達は泣いて抗議した。
「絶対に来てくれるっていったのに!」
「パパの馬鹿~!」
「そんなこと言わないの!パパだってあんた達のところに行きたいと思ってるんよ!でもお仕事だから行かれんの!」
千尋が数分間娘達を説得すると、漸く彼女達は泣き止んだ。
「ママが来るけん、それまでちゃんと良い子にしとるんよ、わかった?」
「うん、わかった・・」
娘達を玄関先で送り出すと、千尋は夫婦の寝室となっている四畳間へと向かった。
そこの押入れにある収納箱には、千尋が中洲時代に着ていた着物が大切に入れられていた。
(参観日やから、余り派手なものは控えようかな・・)
そう思いながら着物を包んでいる和紙を解くと、青地に流水の柄が施された訪問着と、白い帯が出てきた。
「これでいいかな。」
着物を着るのは久しぶりなので、ちゃんと寸法が合っているかどうか不安だったが、それは杞憂に終わった。
一方、薫と美輝子の参観日に来られなくなってしまった歳三は、フロントデスクで仕事をしていた。
「土方さん、宿泊部長がお呼びです。」
「わかりました。」
同僚に仕事を頼み、歳三がオフィスへと向かうと、宿泊支配人の甘粕(あまがす)がねっとりとした嫌な目つきで彼を見た。
「君、今回の問題でどうすべきなのかわかってるね?」
「さぁ、わかりかねます。」
「とぼけるのもいい加減にしたまえ!」
甘粕は苛立ったように、テーブルの端を左手でコツコツと叩いた。
その仕草は彼が切れる寸前に取る行動であることを、歳三は気づいた。
「まさか、わたしに辞職しろと・・ホテルを辞めろとおっしゃいませんよね?」
「な・・それは・・」
歳三が直々にソウル本社から派遣され、尚且つ社長自身がヘッドハンティングした人物だということを、甘粕は知っていた。
「支配人、今回のことはお客様にも非があったのですから、許していただいてはどうでしょうか?」
甘粕と歳三との間に割って入ったのは、フロントオフィスマネージャーの竹中千夏だった。
「だがな・・先方は土方君の辞職と謝罪を要求しているんだ。」
「土方は接客になんら落ち度はありませんでしたし、クレームをつけてきたのは先方じゃないですか?」
千夏の鋭い指摘に、甘粕は怒りで顔を赤くして黙り込んだ。
事の起こりは、歳三がまだこのホテルに勤め始めて間もない、4月初旬のことだった。
ある大物代議士の友人である暴力団関係者の息子の宿泊を、歳三が断ったことから、このホテルの存在を脅かすかのような大騒動に発展してしまったのだ。
「おい、俺は客やぞ!このホテルは客を選ぶんか!」
「そういう意味で申し上げたつもりではございません。ただ今部屋に空きがございませんので・・」
「ふざけんなや!」
自分の恫喝に怯まず毅然とした態度を取る歳三に苛立ち、彼はフロントデスクを蹴り始めたのである。
にほんブログ村