『初めてにしてはお上手ね。』
『実は、初めてではないのですよ。渡英する前に、何度か船上で練習したんです。まぁ、船はいつも揺れてましたから、踊ることで船酔い防止にはなりましたけど。』
『まぁ、それは良かったこと。』
ワルツのステップを踏みながら、正義はアリスに、渡英前の武勇伝を聞かせた。
『あなたがさっきお話なさったレディ・ヤエー銃を持って敵を蹴散らすだなんて、まるでフランスを救ったジャンヌ=ダルクのようね。』
『ええ。八重様は俺達に射撃の訓練をつけてくださいました。明治の世となっても、あの方は逞しく生きておられることでしょう。』
故郷・会津の話となると、正義は饒舌となり、その瞳は美しく輝いた。
そんな彼の横顔を見ながら、アリスはひたすら己の道を貫く彼の生き様を羨ましく思った。
そして、半月後に控えている結婚式のことを思うと、彼女は憂鬱な気分になった。
陸軍将校・グスタフは、粗忽で女癖が悪い男で、貴族の爵位と財産が欲しいが為に、アリスと婚約しただけだった。
グスタフの家は貧しく、学校も碌に通わせて貰えなかった彼の唯一のとりえは、腕力と喧嘩が強いことだった。
だから彼が軍隊に入ったのは、自然の流れと言われれば当然のことだった。
彼が付き合う女達は、一夜限りの関係を喜んでもち、男とわかれば股を開く売春婦達だった。
しかし、アリスとの縁談が調い始めたとき、グスタフは女性関係を清算し、アリスを愛すことを誓った。
それがうわべだけのものだと思っていたアリスだったが、彼の気持ちは本物だった。
アリスを何とか振り向かせようとあらゆる手を尽くしたグスタフだったが、彼が贈るどんな高価なプレゼントには一度も彼女は見向きもしなかった。
だがいつか、彼女は自分に振り向いてくれる筈だとグスタフは信じていた。
彼のその自信に満ちたプライドは、目の前に繰り広げられる一組のカップルのダンスを前にして粉々に砕け散った。
アリスの笑顔は常に、彼女の前に立っている東洋人の留学生に向けられていた。
彼が何かを言うと、アリスは自分に見せたことがない笑顔を浮かべている。
(どうして、あいつにだけそんな顔をするんだ?)
グスタフの中で、激しい怒りの渦が巻き起こった。
『ねぇ、後でこっそりと二人で抜け出さないこと?』
『いいですね。』
正義とアリスが舞踏会をこっそりと抜け出す算段をしていると、突然アリスの腕を折れそうなほど掴みながら、グスタフが彼女を自分の方へと引き寄せた。
『そこで何をしてるんだ、アリス!』
『何をなさるの、グスタフ?乱暴な真似は止して!』
『うるさい、お前が悪いんだ!』
怒りで沸騰したグスタフは、感情に任せて公衆の面前で彼女の頬を平手で張った。
『お前は一体何様のつもりだ、こんな男に尻尾を振って!』
『何をなさるの、グスタフ!』
アリスは必死に抗ったが、男の腕力に叶うはずもなく、彼女はグスタフによって外へと引きずり出された。
『アリス様!』
正義はグスタフに引き摺られてゆくアリスが消えていった方向へと走っていこうとすると、サザーランド教授の巨体に遮られた。
『どうかそこを退いていただきたいのですが、理事長?』
『嫌だ。お前の所為で我が家の地位は地に墜ち、エリザベス一世の御世に築き、培われてきた名誉は泥に塗れようとしている・・お前の所為でな!』
サザーランド教授はそう叫ぶと、正義を睨みつけた。
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