「千尋さん、あなたにお客様よ。」
「わたくしに、ですか?」
「ええ。」
千尋が教室から出て廊下に向かうと、そこにはぬいの姿があった。
「ぬい様、どうされたのです?」
「千尋様、今日あなたにお話したいことがあるのです。」
「わかりました。」
「じゃぁ、今夜この場所に来て下さいね。」
ぬいはそう言って千尋に一枚の紙を渡すと、そのまま彼に背を向けて女学校から出て行った。
「さっきの方、千尋様のお知り合いなの?」
「ええ。」
始業を告げる鐘の音が聞こえ、千尋は教室に戻った。
「じゃぁ皆さん、さようなら。」
「さようなら。」
放課後、女学校の正門前で詩織達と別れた千尋が深川の自宅まで歩いていると、彼は背後に視線を感じた。
「こそこそと隠れていないで出て来たらどうです?」
「ちぇ、ばれたか。」
茂みの向こうから青年が現れたかと思うと、彼はそう言って舌打ちした後千尋を見た。
「あなた、お名前は?」
「俺かい?別に、名乗るほどの者じゃねぇぜ?」
「さっきからわたくしのことを尾(つ)けていたようですけれど・・誰かに頼まれたのですか?」
「それは俺の口からは言えないねぇ。」
青年はそう言うと、口端を上げて笑った。
千尋はじっと青年を睨んだ後、彼に背を向けて再び歩き出した。
すると、青年も千尋の後をついてきた。
「ついてこないでください。」
「いや、帰る方向が同じなんだけど・・」
「そんな嘘、わたくしに通用するとでも思っているのですか?」
千尋はそう言って再び青年を睨むと、彼は両肩をすくめて溜息を吐いた。
「そんなに警戒する事ねぇじゃねぇかよぉ。俺は別に、あんたに何かしようとしている訳じゃないんだし・・」
「そうですか。ならば、今すぐわたくしの目の前から消えてください。」
「わかったよ・・」
青年は小声で何かを呟くと、そのまま千尋に背を向けて雑踏の中へと消えていった。
「ただいま戻りました。」
「お帰り。今日は変わった事はなかったか?」
「女学校から帰る時、変な男に後を尾けられました。」
「そいつに何か変な事されてねぇか?」
「ええ。ただ、少し胡散臭い男でした。」
千尋はそう言って襷掛けすると、台所で夕飯の支度を始めた。
「料亭でのお仕事はどうですか?上手くいっていますか?」
「まぁ、黄尖閣でやっている仕事と大して変わりはねぇけどな。それよりも千尋、もうすぐ試験だろう?余り無理するなよ?」
「ええ。」
千尋と夕食を取った後、歳三が料亭に出勤すると、何やら座敷の方が騒がしかった。
「何かあったんですか?」
「酒癖が悪い客が、お気に入りの芸者に袖にされちまって今大暴れしてんだよ。」
座敷での騒ぎを歳三がそれとなく板場で聞いてみると、板前の銀二がそう言って溜息を吐いた。
「全く、迷惑なこった。」
銀二がそう呟いている間にも、座敷の方からは皿が派手に割れる音が聞こえた。
「銀二さん、俺がその客を大人しくさせてみせます。」
「大丈夫かい、あんた?そいつ、腕っ節が強いから、あんたが座敷に行ったらふっ飛ばされちまうよ?」
「大丈夫です。俺も腕に自信がありますんで。」
にほんブログ村