ルドルフは直樹が経営する会社の経理を担当していたが、最近伝票の中に不備を見つけ、それを直樹に問い質すと、彼は何も知らなくていいとの一点張りだったという。
その伝票での一件以来、ルドルフは直樹と気まずくなってしまったと、環に話すと、彼の顔が不安で曇った。
『まぁ、そんな事が・・』
『この話は、誰にもしないでくれ。折角お前が家族と一緒に暮らせるようになったのに、波風を立てたくないんだ。』
『解りました。会社の方とはどうですか?』
『会社の人達とはたまに昼食を食べに出掛けたり、雑談したりして良い関係を築いているよ。ただ、ナオキの部下であるスギシタって男が、妙にわたしの事を警戒しているよ。』
『杉下さんですか・・確か彼は、叔父上の信奉者ですから、貴方の事を警戒するのも無理はありません。』
『そうか・・』
ルドルフはそう言うと、髪の右手に包帯が巻かれていることに気づいた。
『タマキ、その怪我はどうした?』
『ミシンでドレスを縫っていったら、誤って針を指に刺してしまって・・』
『怪我には気を付けろよ。何をするにしても、自分の身体が資本だからな。』
『はい、解りました。』
環はそう言ってソファから立ち上がると、ドレスを仕上げる為に二階の自室へと向かった。
「環、遅くまで仕事をしているわね。」
「いくら華族のご婦人からドレスをお願いして貰っただけだというのに、あんなに張り切って。」
「いいじゃないか、打ち込める物があって。ルドルフさん、仕事はどうだ、捗っているか?」
「ええ。」
重正から酌をして貰い、ルドルフは彼に礼を言うと猪口の中に注がれた酒を飲み干した。
「飲みっぷりがいいな。」
「ワインも美味しいですが、日本酒もいいですね。ワインにはない深い味わいがあります。」
「そうだろう?つまみはどうだ、美味いだろう?」
「はい。お義父さんが作ったのですか?」
「ああ。家に居てすることがないから、飯を作るだけでもしないとな。」
「兄上、男が料理などするものではありません。家の事は女に任せておけばよいのです。」
重正の言葉を聞いた直樹は、そう言って顔を顰(しか)めた。
「直樹、お前は若いのに考えが古いな。今は女でも自立して立派に働いている人も居る。必死に手に職を持って生きることに、わたしは、性別は関係ないと思っているよ。」
「そうですか。では勝手にしてください。わたしは先に部屋で休みます。」
重正はそう言って仏頂面を浮かべると、ダイニングルームから出て行った。
「・・やっと出来た。」
環は溜息を吐いて仕上げたドレスを手に取ると、溜息を吐いた。
『タマキ、お疲れ様。』
部屋に入って来たルドルフは、妻にねぎらいの言葉を掛けると、彼の前に紅茶を置いた。
『有難うございます。』
『綺麗なドレスだな。』
ルドルフは環が仕上げたドレスを見ると、それは真珠色で裾の部分にエメラルドが縫い付けてあった。
『依頼された藤宮様のお嬢様が、社交界デビューする際に着るドレスです。お嬢様の誕生日が5月なので、誕生石であるエメラルドを使いました。』
『お前は裁縫の腕だけではなく、センスもあるのだな。女学校を卒業したら、洋装店でも開くのか?』
『それは、考えておきます。』
『もう休め。根を詰めると体に悪いぞ。』
『はい・・』
環はルドルフに笑みを浮かべると、彼と共に寝室に入って休んだ。
「おはようございます、母上。」
「環、昨夜は遅くまで起きていましたね。ドレスは仕上がったのですか?」
「はい。今日学校の帰りにドレスを藤宮様の元へ持って行くおつもりです。」
「そうですか。」
「ではお母様、行って参ります。」
「気を付けて行ってらっしゃい、環。」
育は玄関の掃き掃除を終えると、そう言って環を笑顔で送り出した。
にほんブログ村