鈴江の正体を探る為、彼女が籍を置いている置屋『いちい』に仕込みとして潜入した千尋だったが、仕込みの仕事は彼が思っていたよりも多かった。
仕込みは、舞や三味線などの鳴り物の稽古をしながら、先輩格に当たる舞妓(まいこ)や芸妓(げいこ)達の着付けを手伝ったり、彼女達の身の回りの世話をしたりする。
当然、炊事や洗濯などの家事もせねばならず、千尋は『いちい』に来てから働きづめの日々を送っていた。
「千尋ちゃん、襦袢出しといておくれやす。」
「へぇ、姐さん。」
鈴江の妹舞妓で、今月に店だししたばかりの鈴華は、千尋と歳が近いこともあってか、色々と千尋に『いちい』に籍を置いている舞妓や芸妓達のことや、花街のしきたりや人間関係などを教えてくれた。
「鈴江姐さんは、何処の生まれなんどすか?」
「さぁ、うちもよう知らへんけれど、確か加賀の生まれやと聞いたことはあるえ。」
(加賀か・・)
「千尋ちゃん、鈴江姐さんが呼んでるえ。」
「解りました、すぐ行きます。」
「そないな事を言うたらあきまへんえ。」
「すいまへんでした、姐さん。」
京言葉を使うよう他の舞妓から指摘され、千尋はそう言って彼女に頭を下げた。
「鈴江姐さん、千尋どす。」
「お入りやす。」
「失礼します。」
千尋が鈴江の部屋に入ると、鈴江は鏡台の前で化粧をしていた。
白粉を塗り、口と目元に紅をさした鈴江は、初めて顔を合わせた時の姿とは別人のように美しかった。
「うちに何か用どすやろうか?」
「別に。ただ武家のお嬢様がどうして仕込みとして働いているのか、気になっただけさ。」
化粧を終えた鈴江は、鏡台の前に紅筆を置くと、そう言って千尋を見た。
「京言葉をお使いにならないのですね?」
「まどろっこしい言い回しが嫌だし、話すとイライラして来るからお座敷の時以外は使わないんだよ。」
そうはきはきとした口調で話す鈴江の喉に、自分と同じ物があることに千尋は気づいた。
「では、こちらからも質問させてもらっても宜しいでしょうか?」
「どうぞ。」
「あなたは何故、男でありながら芸妓をしていらっしゃるのです?」
「それは秘密。君だって、男なのに女ばかりの置屋に居る理由を、わたしに知られたくはないだろう?」
鈴江は両手を千尋の薔薇色の頬へと伸ばし、金色の瞳を光らせながら少し恐怖に怯えている彼の顔を覗き込んだ。
「鈴江、何処におるんや?」
「今行きますえ、おかあさん。」
階下で自分を呼ぶ菊枝の声を聞いた鈴江は、千尋からさっと離れると部屋から出て行った。
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