斎藤は千が屯所への道を勢いよく走り去るのを見送った後、自分と対峙している刺客を睨みつけた。
刺客は長身の男で、殺気は微塵も感じられないが、彼が相当の手練れだという事に斎藤は気づいた。
「貴様、何者だ?何故俺達を尾けていた?」
「それは今から死ぬ奴には関係がない事だ。」
男はそう呟くと、背に隠し持っていた匕首を握り締め、そのまま斎藤へと向かって来た。
斎藤は愛刀の鯉口を切り男に応戦したが、得物はこちらの方が勝るというのに、男は徐々に斎藤に押されていった。
(この男、只者ではない!)
「俺達の邪魔をするな、次は殺す。」
男はそう斎藤の耳元で囁くと、そのまま雑踏の中へと消えていった。
「斎藤さん、お帰りなさい。右肩、どうかなさったんですか?血が・・」
「刺客にやられた。相手は匕首しか持っていなかったが、力におされて反撃する間もなかった。」
「傷の手当てをしますので、僕の部屋へ案内します。」
千が自室で斎藤の肩の傷を見ると、そこは少し抉れたようになっていた。
「少ししみますけれど、我慢してくださいね。」
消毒薬を染み込ませたガーゼを傷口に当てると、斎藤の顔が少し苦痛に歪んだ。
「これで大丈夫です。」
「かたじけない。千は医術の心得があるのだな?」
「いいえ、見よう見まねで山崎さんのお手伝いをしているだけです。それよりも、荻野さんの疑いがすぐに晴れればいいんですけれど・・」
「鈴江とかいう芸妓の居場所が掴めれば、清を殺した真犯人が判る。監察に彼女の消息を追わせているが、中々奴の尻尾が掴めぬようだ。」
(21世紀であれば、鈴江さんがスマホを持っていれば、GPSで居場所が判るんだけれど・・この時代だと、人海戦術しかないんだろうな。それに、科学捜査なんて出来ないし・・一体どうすれば、荻野さんの疑いが晴れるんだろう?)
千尋を救う為、千はある事を閃いた。
その日の夜、千は事件現場を訪れ、薄暗い灯りの中で真犯人に繋がる証拠を探していた。
しかし、それらしきものは全く見つからなかった。
(やっぱり無理かな・・)
千がそう思いながら引き上げようとした時、誰かが背後から自分の口を塞ぎ、板張りの床に押し倒した。
「やっと見つけた。」
「貴方、誰ですか?」
「おやおや、暫く会わない内にお前は愛しい男の顔を忘れてしまったのかい?」
男はそう言うと、徐に顔を覆い隠していた頭巾を取った。
月明かりに、長州に居る筈の桂小五郎の端正な美貌が仄かに照らされた。
「どうして、桂さんがここに?」
「お前こそ、こんな所で何をしている、千尋?」
「勘違いされているようですが、僕は千です。荻野さんはこの置屋で殺された娘さんの下手人として、奉行所で身柄を拘束されています。僕は、ここで真犯人に繋がる証拠を探しているところだったんです。」
「何だと、それは本当なのか!?」
「僕がこんな状況で、嘘を吐くと思いますか?」
千が少し呆れたような顔をしながら桂を見ると、彼はそっと千の前から退いた。
「何故、千尋がこの置屋の娘を殺した下手人として奉行所に捕らわれたんだ?」
「それは、この現場で被害者が殺害されている姿を見た荻野さんを見かけた人が、下手人だと荻野さんの事を誤解していたようです。それに、被害者と荻野さんの関係が置屋の後継者を巡って幼少期からいがみ合っていることが奉行所の調べでわかり、荻野さんが被害者を殺害したという疑いが濃厚になってしまったのです。荻野さんは一貫して容疑を否認しているのですが、荻野さんの疑いを晴らす為には現場に何か残っていないかと・・」
「そういう事ならば、わたしも協力しよう。」
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