泰助が和室に入ると、そこには少年少女達が笑顔でノートと鉛筆を持って彼を待っていた。
「よし、それじゃぁ始めるぞ!」
「は~い!」
泰助の“英語塾”は、子ども達の笑い声に始終包まれた。
「賑やかですね。」
「ああ。」
台所で子ども達の菓子を用意していたルドルフとユリウスは、和室から聞こえる笑い声を聞きながら溜息を吐いた。
「本当にタイスケは変わった男だな。このご時世に英語を子ども達に教えるなんて。」
「ええ。多分お父様の影響なんでしょうね、きっと。」
ユリウスがそう言って笑いながら菓子を盆に載せて運ぼうとした時、裏口が激しく叩かれた。
「どなたでしょう?」
「さぁ・・見て来る。」
ルドルフは台所の壁に立て掛けていた銃剣を握り締めると、裏口へと向かった。
ゆっくりと息を殺して彼が裏口へと向かうと、戸を勢いよく開いて銃剣を不審人物に突き付けた。
「きゃぁぁ!」
そこに立っていたのは、背に幼児を背負っている若い女性だった。
「愛子、どうした?」
「父さん!」
女性はそう叫ぶと、泰助の方へと駆け寄ってきた。
「嫁ぎ先から家出したって? 何だってそんな事・・」
「お義母さんが厳しくって・・子どもを産む前は色々と良くしてくれたんだけれど、もう限界よ。」
女性―泰助の娘・愛子は、そう言って涙を手の甲で拭った。
「靖男さんはまだ戻って来ねぇのかい?」
「ええ。生きているのか死んでるのか、解らないわ。ごめんね父さん。」
「いいんだよ。孫の世話もしたいしな。人手が足りなくて困ってるところだから、丁度良いや。」
そう言って破顔した泰助は、孫をあやし始めた。
「乳は出てるのか?」
「ううん。近くの小母さんに乳を与えて貰ってるのよ。お義母さんは“周囲に甘えるな”って言って・・出ないものは仕方無いじゃないの・・」
「あの鬼婆、てめぇが姑にいじめられた嫁時代の事を忘れちまったのかよ。ま、あんな鬼の棲家よりもこっちの方が極楽だ。」
「ありがとう、父さん。」
愛子はそう言うと、笑顔を浮かべた。
「愛子、紹介するぜ。俺が世話してるルドルフとユリウスだ。」
「初めまして。先ほどはご無礼を。」
「いえ。堂々と玄関先へと向かっていれば良かったものを、裏口の戸を叩いたから怪しまれたんですわ。びっくりさせてしまって申し訳ありません。」
愛子はルドルフに頭を下げると、台所へと向かった。
「先生、おやつまだ~?」
「ちょっと待ってろ、すぐに持って来るからよ!」
ルドルフとユリウスは、子ども達に菓子を運んだ。
「うわ、うめぇ!」
「甘い菓子食うの、久しぶりだ!」
白米が無く、僅かな食糧で毎日食いつないで来た子ども達にとって、砂糖をふんだんに使った甘い菓子は何よりものご馳走だった。
「先生、またね!」
「さようなら~!」
「おう、気をつけて帰れよ!」
笑顔で去っていく子ども達に手を振りながら、泰助は愛子達と茶を飲んだ。
「父さん、また子ども達に英語教えてたの?」
「愛子、あの鬼婆は俺に任せな。お前はここでゆっくりと休めばいい。」
「ありがとう。夕飯作るわね。」
「あ、わたしもお手伝いします。」
ユリウスと愛子が台所へと向かうと、泰助は溜息を吐いてルドルフを見た。
「この戦争さえ終わってくれりゃぁ、いいんだが。」
「ああ、全くだ。」
泰助達と過ごす、穏やかな暮らしにも、戦争の影が徐々に忍び寄って来た。
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