「それは、一体どういう・・」
「斎藤、車回せ!」
千尋と斎藤が向かい合っていると、外から土方の慌てふためいた声が聞こえた。
「どうなさいましたか、旦那様?」
「さっき軽井沢から電報が届いて・・総美が危ないらしいんだ!」
「奥様が・・」
「千尋、お前も来い!」
土方は有無を言わさず千尋の手を掴むと、そのまま車へと乗り込んだ。
「奥様は、大丈夫なのでしょうか?」
「さぁな。まだあいつには死なれちゃ困る。お腹の子の分まで生きていて欲しいんだ、あいつには。」
軽井沢へと向かう車の中で、千尋は総美が妊娠していることを初めて知った。
(神様、どうか奥様と赤ちゃんをお救いください。)
千尋は必死に総美とまだ見ぬ彼女が宿している新しい命の為に祈った。
「あなた・・来て下さったのね。」
土方と総美が軽井沢のサナトリウムへと向かうと、総美は苦しそうに息をしながら2人を見た。
「総美、まだ死ぬな! 腹の子の為にも、俺の為にも生きてくれ!」
「ええあなた、わたくしはまだ死ぬ訳には参りませんわ。千尋さん、来てくださってありがとう。」
「奥様・・」
千尋は涙を流しながら、総美の手を握った。
それから半年間、総美は病と闘いながら、腹の子の為に懸命に生きた。
そんな彼女を、土方と千尋は傍で支えた。
「それでは、行って参ります。」
「ああ、気を付けて行けよ。」
千尋が登校して李鈴に挨拶すると、彼女は俯いて千尋の手を掴んだ。
「千尋さん、少しお話ししたいことがあるのだけれど・・」
「何かしら?」
人気のない校舎裏へと連れて行かれた千尋は、李鈴からとんでもない事を聞かされた。
それは、土方が本妻を放ったらかしにして、年端もゆかぬメイドに入れこんでいるという、下らない噂だった。
「ねぇ、それは事実なの?」
「いいえ。旦那様は奥様の事を愛していらっしゃるし、ましてや奥様は旦那様の子を身籠っていらっしゃるのよ。誰がそんな出鱈目を・・」
「春日さんよ。ほら、入学式でお見かけした。」
千尋の脳裡に、葉山の浜辺で会った青年の姿が浮かんだ。
(どうして春日さんが、そんな噂を・・)
千尋は一度春日と会って話をしてみようと思った。
春日が流した土方の醜聞に、丁度いい退屈しのぎを探していた華族のご婦人たちや土方を陥れようとしていた輩が食いつき、その噂には“メイドを妊娠させた”という尾鰭が付いてしまった。
「畜生・・」
「旦那様、千尋さんを傍に置くなと申し上げた筈です。」
「俺はあいつを手放すつもりはねぇよ。斎藤、お前が何を企んでいやがるか知らねぇが、総美が死んだ後、俺はあいつと再婚する。」
「旦那様!」
斎藤の端正な美貌が怒りで赤く染まった。
「おやめ下さい、旦那様! そんなことをなさったら、一番傷つくのは千尋さんだ!」
「煩せぇ、俺はもう決めたんだ!」
土方がそう斎藤に怒鳴った時、廊下で誰かが言い争う声が聞こえた。
「お待ちください、旦那様は今・・」
「煩い、そこを退け!」
斎藤の部屋のドアが乱暴に開けられ、軍服姿の春日徹が部屋に入るなり、土方の頬を殴りつけた。
「てめえ、何しやがる!」
「黙れ、この変態が! 千尋さんは何処だ!」
「千尋に何の用があるってんだ!」
「彼女をわたしの友人の元へと連れて行く。その方が貴様と暮らすよりも良いからな。」
徹がそう言った途端、アンドレイが部屋へと入って来た。
アンドレイと対峙する土方さん。
斎藤さんは土方さんの為を想って言っているのですが、彼の心は土方さんに届きませんね。
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