東京府内に甚大な被害を齎(もたら)した震災であったが、幸い西田侯爵邸と荻野伯爵邸、そして土方邸は震災の被害を免れた。
その西田侯爵邸の中庭では、被災者達の為に華族の婦人や令嬢達が炊き出しを行っていた。
「皆さん、こちらへ並んでください。」
「どうぞ。」
彼女達が握った500個の握り飯は瞬く間になくなってしまった。
「握ってもすぐになくなってしまうわね、これじゃぁキリがないわ。」
「ええ。」
「千尋様、少し休まれたらどう?ここに来てから5時間も立ちっぱなしじゃないの。」
「まだ少しだけ、お手伝いしたいの。」
「そう。何かあったら、わたくし達に言って頂戴ね?」
「ええ、わかったわ。」
千尋は額の汗を手拭いで拭うと、握り飯を作った。
「奥様、こんな所にいらっしゃったのですか?」
「佐々木さん・・」
歳三が経営している会社の従業員・佐々木と再会した千尋は、彼が着ているシャツが泥まみれになっていることに気づいた。
「どうなさったの、その格好は?」
「ああ、これですか?実は、横須賀の実家が地震で倒壊して・・母が梁(はり)の下敷きになりました。必死に母を救おうとしたのですが、火が家に迫って来て・・」
「まぁ・・お悔やみを申し上げますわ。」
「ありがとうございます、奥様。奥様もお母様を亡くされたばかりでお辛いでしょうに・・」
「いいえ、わたくしよりももっと辛い方が沢山いらっしゃいます。わたくしは、その方達の力になりたいのです。」
「強い方ですね、あなたは。社長が惚れこむのもわかる気がします。」
「まぁ・・」
「では、僕はこれで。」
佐々木はそう言って千尋に頭を下げると、西田邸から去っていった。
「千尋様、今日は手伝ってくださってありがとう。」
「いいえ、信子様。わたくしは看護婦ではないから、怪我人のお世話は出来ないけれど、炊き出しのお手伝いは出来ますわ。」
「わたくしも、お手伝い致します。」
博章の妻で、彼が勤務している病院で看護婦をしている信子は、そう言うと割烹着を着て千尋達とともに炊き出しを行った。
「あら、あなたどうしてこちらにいらっしゃるの?」
「ここは華族の方達が炊き出しをなさる所ですのよ?」
千尋とともに炊き出しを行っている信子を見て、華族のご婦人達がそう言って彼女を追い出そうとしていた。
「炊き出しを行うのに、華族も平民もありませんよ。こんな時にまで家柄に拘るだなんて・・」
「まぁ、何て無礼な方なの!」
「所詮は財産目当てで西田家に嫁いだ癖に!」
「わたしの妻は、決してそのような卑しい考えを持った女性ではありませんよ。あなた方は正直邪魔ですから、どうぞお引き取り下さい。」
病院から戻ってきた博章はそう言ってご婦人達を睨み付けると、彼女達はそそくさと西田邸から去っていった。
「千尋様、申し訳ございません・・わたくしが至らないばかりに、千尋様に嫌な思いをさせてしまって・・」
「どうぞ信子様、あんな方達の事はお気になさらないでくださいな。さぁ、炊き出しを続けましょう。」
千尋はそう言って信子を励ますと、炊き出しを続けた。
美千留の四十九日の法要を終えた後、被災者達の為に炊き出しを行っていた千尋はとうとう、過労で倒れてしまった。
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