娼館の若い娘―もとい、ミヒャエルの愛人は、マリアと名乗った。
彼女の話によると、マリアはミヒャエルの子を身籠っているので環にミヒャエルと別れて欲しいということを告げに、遥々ウィーンまでやって来たのだという。
『そうですか。ミヒャエルさんは、貴方が妊娠されていることをご存知なのですか?』
『ええ。彼は喜んで、子供を産んでくれと言って来たわ。』
『元気な子をお産み下さいね。』
環は笑顔でマリアを玄関ホールで見送ると、再び寝室で休んだ。
「環ちゃん、誰か来たのかい?」
「ええ。ミヒャエルさんの愛人が来ました。彼女はミヒャエルさんの子を妊娠しているから、わたしと別れて欲しいと言って来ました。」
「へぇ、そうかい。お医者様を連れて来たよ。」
小春が連れて来た医者から診察を受け、環は以前罹った胃潰瘍が再発していると彼から言われた。
『ここ数か月間、貴方が吐き気や食欲不振などの症状に襲われたのは、胃酸が逆流していた所為でしょう。それと、微熱はただの風邪ですね。一週間分の薬を出しておきますので、必ず食前食後に服用してください。』
『解りました。』
医者が屋敷から出て行った後、環は彼から処方された薬を飲んで寝た。
翌朝、環が王宮へと出勤すると、マリア=ヴァレリーが彼の方に駆け寄って来た。
『タマキ、結婚したら会えなくなると思っていましたわ。』
『ヴァレリー様、お久しぶりです。ルドルフ様はどちらに?』
『お兄様はプラハへ行かれましたわ。入れ違いになってしまいましたわね。』
『ええ。』
『ヴァレリー様、こちらにおいででしたか。』
ヴァレリーの世話係は、そう言うと彼女を睨んだ。
『タマキ、またあとでね。』
『はい。』
ヴァレリーと廊下で別れた後、環は王宮図書館へと向かった。
朝の早い時間帯だからか、図書館内には誰も居なかった。
環は以前から読みたいと思っていた本を書棚から取り出し、近くにあった席に座ってその本を読み始めた。
『お隣に座っても宜しいでしょうか?』
突然頭上から声を掛けられ、環が本から顔を上げると、自分の前には栗色の髪を結い上げた女性が立っていた。
『どうぞ、お構いなく。』
『初めまして、わたしはエリザベスと申します。貴方は、タマキ様ですね?』
『何故、わたしの事を知っているのですか?』
『実はわたしの姉が、ロンドンで仕立屋をしておりまして・・その姉から貴方の話を何度か聞いたことがあります。』
『貴方のお姉様って、ブリジット=フォースリー様ではなくて?』
環の言葉に、女性はクスリと笑って頷いた。
『皇太子様から以前姉がドレスを依頼されて驚いたという話を聞きました。それと、貴方の事について、姉が貴方と皇太子様はお似合いのカップルだと申しておりました。』
『エリザベス様は、何故ウィーンにいらっしゃるの?』
『母がウィーンの出身なので、わたしは家族の居る英国を離れて、伯母の家で暮らしております。実を言うと、今日が宮廷勤めの初日なのです。タマキ様、色々と教えてくださいね。』
『わたしはまだ若輩者なので、エリザベス様のお力になるかどうかわかりませんが、こちらこそ宜しくお願いいたします。』
環はそう言ってエリザベスに微笑み、彼女と握手を交わした。
『貴方のお姉様・・ブリジット様は、他にはどのような事を話されていたのですか?』
『あの舞踏会の時に皇太子様用のドレスを仕立てる時、皇太子様の長身が目立たないようなデザインを考えるのに苦労したと姉は言っておりました。』
『わたしも見たかったです、ルドルフ様のドレス姿。さぞや素敵だったのでしょうね。』
『姉から写真を預かりました。』
エリザベスはそう言うと、バッグの中から一枚の写真を取り出し、それを環に手渡した。
そこには蒼いドレスを着て化粧を施したルドルフが映っていた。
『美男子は、女装をしても似合いますね。』
『ええ、本当に。』
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