柚葉は薄暗い牢の中で寝返りを打っていた。
總子と彩加の策略により濡れ衣を着せられた彼は、筵を敷いた石の床に身を横たえながら、むっとくる熱気を忘れようと何度も目を閉じて眠ろうとした。
だが空気が遮断された牢獄は、夏は蒸し風呂のように暑く、冬は吹雪のど真ん中にいるように寒くなる劣悪な環境だった。そんなところで安眠できる者など誰1人としていない。
柚葉は汗で張り付いた前髪を鬱陶しそうに掻きあげながら、ゆっくりと身体を起こした。
「早くここから出たいな・・」
“俺もだ。”
舌を出しながらハァハァと荒い息をしている紅は、そう言って冷たい床の上に横たわった。
「お前は俺に付き合わなくてよかったのに、何故ついてきたんだ?」
柚葉はそう言って黒犬の背中を撫でた。
“お前を守ると友に誓ったからだ。それよりも柚葉、あの女には気を付けた方がいい。”
「あの女?弘?殿女御様のことか?」
“ああ。俺は茂みに隠れてあの女を見たが、あの女は何か恐ろしいものに取り憑かれている。”
「恐ろしいもの?怨霊か何かか?」
“いいや、俺達鬼族よりも恐ろしいものだ・・あの女からは死の匂いがする。”
「死の匂い?それは一体どういう・・」
その時、獄吏が牢内に入ってきた。
獄吏は柚葉の牢の前で足を止めた。
「お主の罪が晴れた。出ろ。」
柚葉が怪訝そうな顔をしていると、獄吏は牢を開け、柚葉を牢から出した。
「一体どういうことです?わたくしの罪が晴れたとは?」
柚葉の問いに、獄吏は何も答えない。
女御の櫛が自分の唐櫃の中にあったのだから、女御と彩加が共謀して自分を罠に掛けたという証拠が出ない限り、身の潔白を証明するのは難しいと柚葉は思っていた。
だがこんなにあっさりと潔白が証明されるとは、何かがおかしい。
柚葉はちらりと獄吏の顔を見た。
牢に入れられて何日か経ち、獄吏の顔は大体知っているが、自分の隣を歩く獄吏の顔は知らない。彼が本当に獄吏なのかどうかもわからない。
なんだか胸騒ぎがして、柚葉は回れ右をしてもと来た道を戻ろうとした。
その時獄吏が彼の腕を掴んだ。
「どこへ行く?」
「牢に忘れ物をしてしまって・・取りに行こうと思いまして・・」
「そのような勝手な真似は許さぬ。」
獄吏は有無を言わさず、柚葉の腕を引っ張って牢獄から出た。
外はもう夜の帳が下り、辺りは漆黒の闇に包まれていて、ここがどこなのかわからない。
獄吏は柚葉の腕を掴んだまま、無言で歩きだした。
どうやら柚葉達が歩いているのは貴族達が住む地域とは反対方向にある寂れて治安が悪そうな地域で、人通りが少ない。
そんな寂れた路地には似つかわしくない貴族の牛車が路地の中央を占領するように停められてあった。
獄吏はやっと柚葉の腕を放し、牛車の前でひざまづいた。
すると牛車の中から闇色の直衣を着た男が優雅な動作で出てきた。
その顔は柚葉は見覚えがあった。
桐壷女御に挨拶に行った時に、あの嫌な陰陽師・土御門有人とともにいた陰陽師だ。
「よくやってくれた。もう戻ってよいぞ。」
そう言って陰陽師・田淵浦灑実(たぶちがうらのさねのぶ)は、獄吏に向かって手を叩いた。
すると、ポンという弾けた音がして、獄吏がひざまづいていた場所には1枚の紙切れが落ちていた。
「人を使うより、式神(しき)を使った方が効率が良いな。何しろ人は金を積まなければ決してお前を牢の外には出さぬだろうしな。」
灑実はそう言ってニヤリと笑った。
柚葉は灑実に背を向けて走り出した。
「待て!」
後ろから灑実が追ってくる気配がした。
何故彼は自分を牢から連れ出そうとしたのだろうか。
そんなことを考えている暇は、今はなかった。
ただひたすら、彼から逃げることだけを柚葉は考えていた。
息を切らし、闇の中をしばらく走っていると、見慣れた建物が目に入った。
(あと少し・・あと少しだ・・)
そう思いながら走ろうとしたとき、突然金縛りに遭ったかのように、柚葉の身体が動かなくなった。
足を踏み出そうとしても、足が動かない。
「俺の呪が効くとは・・やはりお前は・・」
灑実はそう言って柚葉に近寄り、彼の鳩尾を殴った。
「う・・」
柚葉はくずおれるようにして地面に倒れた。
「手間をかけさせる奴だ。」
灑実は柚葉を抱き上げながら牛車の中へと入っていった。
やがて牛車は闇の中へと消えていった。
その一部始終を見ていた紅は、山野裏邸へと疾走した。
にほんブログ村