翌朝、帝が柚葉と一夜を過ごしたという噂が、あっという間に宮中に広まった。
それは口がさない連中の嘘だったが、弘?殿女御はその噂を聞いて柚葉への憎しみを一層強くした。
(許さぬ・・主上と一夜を過ごすなど・・主上に愛されるのは、この妾だけだだというに!)
「彩加、おるか?」
「はい、ここに。」
彩加は今日も主人の機嫌が悪いことに気づいた。
原因はわかっている。
「昨夜はわたくしの乳母がとんでもないことをいたしまして・・」
「それはもうよい。それよりもそなた、土御門有人を知っておるか?」
「はい・・それがどうかいたしましたか?」
「ここに呼んで参れ。」
宮中に出仕した土御門有人は、藤原の姫から文を貰った。
「また恋文ですか、兄上?」
隣で弟の頼人がそう言って文を見ようと覗きこんだ。
「いや、仕事だ。」
有人は頼人の頭を小突き、弘?殿へと向かった。
「ようこそお越し下さいました、有人様。」
彩加はそう言って有人に微笑んだ。
「これはこれは、彩加殿。お久しゅうございます。」
有人は彩加に頭を下げた。
「女御様はもうすぐ参られます。しばらくここでお待ちくださいませ。」
彩加は頬を赤く染めながら、嬉しそうに去っていった。
(一体どうしたというのだ、彩加殿は?あんなに嬉しそうにして・・)
有人は弘?殿女御を待ちながら、何故自分はここに呼び出されたのだろうと考え始めていた。
仕事ということは、呪詛や占いに違いないのだが、もし前者の仕事だとすると、女御は一体誰を呪いたいのだろうか?
今や帝の寵姫として後宮で権勢をふるっている彼女を脅かす敵はいない筈だ。
それなのに、何故―
「よう参ったな、土御門有人。」
凛とした声とともに、弘?殿女御が部屋に入ってきた。
「女御様にはご機嫌麗しく・・」
「堅苦しい挨拶などよい。そなたを呼んだのは、ある姫を呪殺して欲しいからじゃ。」
「ある姫?その姫はどなたでございますか?」
有人はそう言って弘?殿女御を見た。
御簾越しに幽かに見える彼女の美しい顔は少し嫉妬と怒りで歪んでいた。
「そなた、山野裏為人を知っておるだろう?あの男の姫が、わたくしから主上の御心を奪おうとしているのじゃ。わたくしはこの国の国母となる女。邪魔をする者は誰であれ・・殺す!」
女御がそう言葉を発したとき、突風が弘?殿の中に吹き荒れた。
「女御様・・」
「あやつを・・柚葉を必ず殺せ!主上の御心は妾のものじゃ!」
有人は女御の目が一瞬赤く光ったように見えた。
「承りました。」
「女御様、有人様に柚葉を呪殺できましょうか?なんだか不安ですわ。」
彩加はそう言って女主人を見た。
「あやつは腕のいい陰陽師じゃ。あやつは決して妾を裏切るまい。」
「ですが・・有人様は柚葉に懸想しておいでです。」
有人のことを密かに想っている彩加は、そう言って唇を噛み締めた。
「それなら好都合じゃ。」
有人は弘?殿を出て、柚葉の姿を探した。
桐壷の庭で、柚葉は美しく舞っていた。
その姿を見ながら、自分は本当に柚葉を殺せるのだろうかと思った。
弘?殿女御は、何としてでも柚葉を殺そうとするだろう。
昨夜柚葉が帝に呼ばれた際、柚葉の盃に毒が盛られたと聞く。
恐らく女御の息がかかったものの仕業だろう。
脳裏に美しくも恐ろしい女御の姿を思い浮かべながら、有人は後宮を後にした。
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