「あなたが何を企んでいるのか知りませんが、わたくしはこの先どんなことがあろうとも、あの人に付いてゆきます。」
「・・愛しているのか、あの男を。彼は所詮、“餌”でしかなかったのに。」
男はそう言うと笑った。
「この戦争で多くの者の魂が闇の者によって狩られることだろう。だがあいつらにとって雑兵どもの魂など糞も同然だ。」
男は池に入ると、千尋の頬を撫でた。
「お前はあの男を闇の者から守りきれるのか、ルクレツィア?」
「守ります。」
「そうか・・ではわたしはもう何も言わなくても良いな。」
男は踵を返すと、闇の中へと消えて行った。
会津での療養生活を終えた歳三と千尋は、鶴ヶ城下で一と再会した。
「お久しぶりです、斎藤先生。」
「斎藤、状況は?」
「新政府軍は奥羽列藩を味方につけました。」
「そうか・・」
圧倒的に不利な情勢であることを知り、歳三は唇を噛んだ。
6月、新政府軍は白河城を落城させた翌月29日、二本松城をも落城させ、この時の犠牲者は13歳から17歳までの少年兵を含む218名もの尊い人命が失われた。
会津の地を新政府軍は蹂躙の限りを尽くし、鶴ヶ城まで進軍してくるのは時間の問題だった。
「副長、会津は俺に任せてくださいませんか?」
「ああ。俺は千尋とともに蝦夷地へと向かう。容保公の事を頼む。」
「御意。」
歳三と千尋が蝦夷地へ向けて出立する前夜、一は千尋を自分の部屋へと呼び出した。
「千尋君、土方さんの事を頼む。それと総司の死は・・」
「あの方は、もう解っていらっしゃると思います。」
千尋はそう言うと一を見た。
歳三が総司を見舞ったのは、流山で近藤が斬首された後のことだった。
千駄ヶ谷の植木屋で療養生活を送っていた総司はすっかり痩せ細り、京で鬼と恐れられていた新選組一番隊組長の面影はそこにはなかった。
「土方さん、余り無理をしないでくださいね。」
「お前ぇなぁ、俺よりもてめぇの心配をしやがれ。」
歳三はそう言うと、総司を抱き締めた。
「死ぬんじゃねぇぞ、総司。」
「解ってますよ。それよりも、近藤さんは元気にしてますかね?」
総司の口から近藤の名が出た時、微かに歳三の身体が強張ったが、総司はそれに気づかずにいた。
「ああ・・元気にしてるさ。じゃぁ、また来るからな。」
「ええ。」
歳三は去り際、何度も総司の唇を貪り、その身体を抱いた。
これが今生の別れとなることを、知っていたから。
総司は近藤の死を知らず、誰にも看取られずに寂しく独りで逝った。
「そうか、知っているのか・・」
「わたくしは沖田先生の代わりには決してなれません。ですが、副長を支えないといけないのは、あの人がわたくし達の局長だからです。」
「千尋君、達者でな。」
「斎藤先生も、お元気で。」
8月、母成峠の戦いを経て、会津若松の城下は新政府軍によって蹂躙された挙句、鶴ヶ城は敵の砲撃によってその美しさを無残にも滅ぼされた。
蝦夷地では大鳥圭介、榎本武揚らが「蝦夷共和国」を1868(明治元)年12月に設立し、歳三は陸軍奉行並という役職に就いた。
蝦夷共和国設立を祝うパーティーを抜け出した歳三が外へと出ると、蝦夷地の凍えるような寒さが彼の白い頬を突き刺した。
「副長、こんなところにいらしていたのですか。」
「もう副長じゃねぇよ、千尋。」
「ではなんとお呼びすれば?」
千尋がそう言って歳三を見ると、彼は苦笑した。
「千尋、お前ぇはもし俺が死んだら、どうするつもりだ?」
「さぁ、その時が来ないと解りません。沖田先生の代わりにはなれませんが、共に居てもいいですか?」
蒼く澄んだ瞳で見つめられ、歳三は静かに頷いた。
「お前ぇにあん時出逢ったのは、運命かもしれねぇな・・」
(総司・・)
歳三は今は亡き恋人の名を呼びながら、千尋を抱いた。
平穏な時は砲撃の音が終わりを告げ、新政府軍は蝦夷地にまで進軍してきた。
二股口での戦いで一度勝利を得た歳三だったが、敵陣の猛撃に五稜郭まで退却せざるおえなかった。
京都では“鬼の副長”として恐れられていた歳三であったが、近頃は新選組隊士達とともに酒を酌み交わすようになったりしていた。
「最近ご機嫌ですね、副長。」
「ああ。なんだかもう、吹っ切れちまったのかなぁ。」
歳三はそう言って寂しげな笑みを千尋に浮かべた。
5月11日、五稜郭まで迫って来た新政府軍は弁天台場を攻撃し、新選組は孤立した。
「いくぞ、千尋!」
「はい!」
僅かな兵を率いて弁天台場へと向かった歳三は、新政府軍に狙われている事に気付けなかった。
(何か、おかしい・・)
千尋がそう気づいた時には、もう遅かった。
鋭い銃声が蝦夷の空気を震わせ、右脇腹を被弾した歳三は落馬し地面へと叩きつけられた。
「副長、しっかりしてください!」
千尋が歳三へと駆け寄ると、彼は虚ろな目で千尋を見つめた。
「千尋・・俺を・・俺の魂を・・あいつらに取られねぇように・・」
「副長?」
周囲を見渡すと、黒い影が木々の間で蠢き、歳三の魂を喰らおうとしていた。
『近ヅクナ、コノ人ハワタクシノモノ!』
突風が吹き荒れ、千尋は漆黒の羽根を広げて闇の者を刀で振り祓った。
勝ち目はないと解っていても、彼は敵を殲滅した。
「う・・」
歳三が呻きながら目を開けると、返り血を全身に浴びた千尋がじっと自分を見下ろしていた。
「目を閉じて。」
唇に柔らかい感触を感じた後、歳三は意識を闇へと堕とした。
にほんブログ村