「話って何だ?」
「陸の親権についてよ。今日の事で色々と考えたんだけど・・あなたに親権を譲ってもいいと思ったの。」
今まで自分に対して憎悪をぶつけていた理紗子が突然そんな事を言ったので、歳三は虚を突かれて思わず彼女を見た。
すると彼女は、突然笑い出した。
「おい、理紗子・・」
気が触れてしまったのかと思った歳三が彼女の肩に触れようとした時、彼女は俯いていた顔を上げた。
彼女は、泣いていた。
「ごめんなさい、何だか感情のコントロールが出来ないみたい・・ホルモンの所為かしら。」
「ホルモン?」
歳三が怪訝そうな表情を浮かべているのを横目で理紗子は見ながら、次の言葉を継いだ。
「さっきあなたには言っていなかったけど・・わたし、妊娠しているの。」
「それは、確かなのか?」
「ええ。体調が優れないことがあって、一度病院に行ったのよ。そしたらもう3ヶ月に入ったところだって言われたわ。」
「産むのか?」
「ええ。東さんにもそうしてくれって言われた。またわたしは順序を逆にしてしまったけれど、両親はわたし達を祝福してくれているわ。」
理紗子が言わんとする事が、歳三は次第に解ったような気がした。
彼女は東弁護士と再婚し、彼との間の子で家族になろうとしているのだ。
その為には、前夫との子である陸が邪魔なので、自分に厄介払いしようとしているのだ。
「そうか。お前ぇらにとっちゃ、陸は邪魔者ってわけか?まぁいい、あの東って野郎は、陸に辛く当たってるようだし・・血が繋がらない親子の間で揉めるより、実の父親と暮らした方がマシってもんだろう。」
「誤解しないでちょうだい、あなた。わたしはもうこれ以上、陸を傷つけたくないの。だから、わたしは敢えて憎まれ役を買うのよ。」
「それでお前ぇは納得できるってのか?言っておくがな、陸にとって母親はお前ぇひとりだ。それを忘れるなよ。」
歳三はそう言うと、理紗子の部屋から出て行った。
「お父さん、どうしたの?」
「あ、何でもねぇよ。それよりもまだ起きていやがったのか?先に寝ろって言ったろう?」
「だって、寝たらお父さんがまたどっか行っちゃうもん。」
歳三が陸の部屋に入ると、彼は正座して歳三が入って来るのを待っていた。
「馬~鹿、俺はもうどこかへ行ったりはしねぇから安心しろ。」
「本当!?」
陸の顔がパァッと輝いたのを見て、歳三はこの子に今まで辛い思いをさせてしまったのだと気づいた。
ふと過去を振り返れば、スター騎手としての栄光と名声に固執し、稼いだ金を家には一銭も入れず、毎夜銀座で派手に遊んでは浮名を流し、家庭を顧みることはなかった。
それが、あの火事を境に変わったのだ。
誰も見舞いに来ない特別室のベッドの上で、歳三は毎日死を渇望していた。
かつての栄光は地に堕ち、唯一無二の親友は鬼籍に入ってしまった。
絶望という名の断崖絶壁に追いやられ、毎日神経をすり減らしながらその淵を歩く日々に限界が来ていたのだ。
だが千尋と会って、何かが変わった。
この世に大切なものーそれは地位でも名誉でもなく、家族であるということに歳三は漸く気づいたのである。
「お父さん、おやすみ。」
「ああ、おやすみ・・」
息子の頭を撫でながら、歳三も深い眠りについた。
にほんブログ村