「千尋、少し話がある。」
「何でございましょう?」
翌朝、千尋が他の女房達とともに針仕事をしていると、御簾の向こうで一の声が聞こえてきたので、彼女はそっと御簾の近くへと向かった。
「斎藤様、申し訳ありませんが暫くお待ちいただけますか?」
「わかった。」
千尋が一に背を向けて同僚達の元へと戻ると、彼女達は好奇心を剥きだしにしながら千尋を見ていた。
「何じゃ?言いたいことがあればこの場で言えばよい。」
「千尋様、昨夜は歳三様とまぐわっておいででしたね?」
まだ土方家に入ったばかりの年若い女房が、そう言って千尋の反応を待っていた。
「愛する者同士がまぐわって何が悪い。そなたこそ、想う相手が居らぬのか?」
「いえ・・わたくしは・・」
千尋の反撃にあった女房は口をモゴモゴとさせ、部屋の隅へと下がっていった。
「大殿様は、一体どこの姫君様を歳三様に宛がうおつもりなのでしょうねぇ?」
「さぁ・・大殿様は強欲なお方だから、どこぞの公卿の姫君様をとお考えなのでしょうね。」
「まぁそうでしょう。いくら千尋様と歳三様が昵懇の仲といえども、所詮は使用人ですもの。」
本人の前で悪意ある言葉をぶつける女房達に対し、千尋はふんと鼻を鳴らした。
「そなたら、わたくしが世間知らずの生娘と思うておるのなら、それは間違いじゃ。自分の身の程など弁えておるわ。」
千尋はさっと立ち上がると、部屋から出ていった。
「千尋様、どちらへ?まだ仕事は終わっておりませぬ。」
「仕事ならとうに済んだ。手よりも口を動かしてばかりのそなたらとは違うのよ。」
口端を上げて千尋がそう言って笑いながら女房達を見ると、彼女達は悔しそうに唇を噛み締め俯いた。
彼女は衣擦れの音を立てながら、歳三の部屋へと向かった。
「若、いつまであの者をここに置いておくつもりなのです?」
「何だ、藪から棒に。」
和琴の絃を張り直し、歳三が音色を確かめていると、一が部屋に入ってくるなりそう尋ねてきた。
彼とは幼い頃から共に過ごしてきた実の兄弟同然の存在であったが、一は生真面目で几帳面な性格で、裏を返せばとんでもない頑固者だ。
歳三に対して畏敬の念を抱き、彼の命令ならばどのようなことでも従う忠実さがあるのだが、それが少し鬱陶しいと思うことがある。
「あの千尋とかいう女、聞けば先の鬼狩りで討たれた鬼の一族の末裔とか。そのような者を傍に置かれるなど・・」
「うるせぇな。俺は千尋を離す気なんざさらさらねぇんだ。」
歳三がそう言ったとき、千尋が滑るように部屋に入ってきた。
「来たか、千尋。」
「成る程、お話とはそういうことでしたか。」
そう言って千尋はくすりと笑うと一を見た。
「お前にははっきり言うておくが、これ以上ここに居られても迷惑だ。歳三様が良いと思うておっても、わたしを含めこの家の者達はお前を歓迎せぬ。その事を覚えておくがよい。」
「承知いたしました。ですが、男と女のことは一様には解かりますまい。」
「どういう意味だ?」
一の眦が上がると、千尋は彼を見た。
「わたくしと歳三様との事に、口を挟まないでいただきたいのです。」
「一、 もう下がれ。」
「ですが歳三様・・」
「下がれと言っている。」
「わかりました・・」
苦虫を噛み潰したかのような顔をしながら、一は歳三の部屋から出ていった。
「まぁあいつの言うことは気にするな。それよりも千尋、縁談のことだが・・」
「わたくしは気にしておりませぬので、ご安心を。」
「そうか・・ならいいんだが。支度を手伝ってくれるか?」
「ええ。」
歳三の身支度を手伝い、彼の艶やかな黒髪を千尋が柘植の櫛で梳いていると、従者の実道(さねみち)が部屋に入ってきた。
「失礼いたします、歳三様。頼道様から文が届いております。」
「そうか。」
実道から文を受け取った歳三が頼道からの文を読み進めてゆく内に、徐々に表情が険しくなっていった。
「どうかなさいましたか?」
千尋がそう言って歳三の顔を覗き込むと、彼は文を読み終わるとそれをくしゃくしゃに丸めて床に捨てた。
千尋がそれをそっと拾い上げて文を読むと、そこにはとんでもないことが書かれてあった。
「これは、一体・・」
「全く、ふざけた爺だぜ。」
歳三は苛立ちを脇息にぶつけるかのように、それを拳で殴った。
文には、今すぐ自分の邸に来るようにとだけ書かれてあった。
「どうなさるのです?もう出仕のお時間が・・」
「行くさ。どうせ大した用じゃねぇんだろ。じゃぁ、行ってくる。」
「行ってらっしゃいませ。」
三つ指を突いて千尋は歳三を見送ると、邸の中へと戻っていった。
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最終更新日
2013年09月17日 15時36分06秒
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