「お久しぶりでございます、慶子様。お元気にしておられましたか?」
「ええ。それにしても驚いたわ、千尋様が生きていらっしゃったなんて!」
オペラ座の近くにあるカフェで、千尋の義兄・範久(のりひさ)の妻、慶子はそう言うと千尋に微笑んだ。
「慶子様も、パリに?」
「ええ。それよりも千尋様、あなたの隣に居るのは土方様ではなくて?」
慶子の視線が、千尋から歳三へと移った。
「今は内藤と名乗っているよ。」
「そう・・千尋様、是非うちにいらっしゃいな。範久様も、千尋様が生きていらっしゃる事を知ったらお喜びになると思うわ。」
「それは出来ません、慶子様。」
「あら、どうして?」
「義兄上は明治政府の為に働いておられます。そんな義兄上の元に、逆賊であるわたくしが来ることで、義兄上に迷惑をお掛けしてしまいます。」
「まぁ・・」
慶子は千尋の言葉を聞くと、溜息を吐いた。
「そう、あなたがそうおっしゃるのならば仕方ないわね。でも、範久様には会ってくださるわよね?」
「ええ。」
「それじゃぁ、後日あなた方が泊まっているホテルに伺いますわ。」
「慶子様、お気を付けてお帰り下さいませ。」
「千尋様、あなたと会えて嬉しかったわ。」
慶子は椅子から立ち上がると、そっと千尋を抱き締めた後、カフェから出て行った。
数日後、千尋と歳三が泊まっているホテルに、範久がやって来た。
「俺も会おうか?」
「いえ、わたくし一人で義兄上にお会い致します。」
「そうか・・」
千尋が一階にあるカフェへと向かうと、シャンゼリゼ通りを見渡せる窓際の席に、範久が居た。
「義兄上。」
「千尋、お前生きておったんか。」
範久はそう言うと、千尋に微笑んだ。
「話は慶子から聞いた。あの土方と夫婦として暮らしているそうやな?」
「ええ。男二人で暮らすのはかえって怪しまれると思うので、夫婦としてなら誰も怪しまれないと思いまして・・」
「そうか。日本に帰ったら、どないするつもりや?就職の世話くらい、してやってもええぞ?」
「いいえ、お断りいたします。わたくしも副長も新政府から目の敵にされている新選組の者です。義兄上には迷惑をお掛けしたくないのです。」
「お前がそう言うのやったら、わたしは何もせぇへん。千尋、身体にだけは気をつけろよ。」
「はい、義兄上。」
「これ、慶子とわたしからの結婚祝いや。」
範久は千尋に漆塗りの箱を千尋に手渡した。
千尋が箱を開けると、そこには鼈甲の櫛と簪が入っていた。
「祝言の時に挿しや。」
「ありがとうございます。」
「千尋、お前とは血が繋がってへんけど、わたしは兄として、お前の幸せを遠くで願うてるで。」
範久はそっと千尋の肩を叩くと、カフェから出て行った。
「お帰りなさいませ、あなた。千尋様とお話は出来ましたか?」
「ああ。結婚祝いに、鼈甲の櫛と簪を贈った。」
「そうですか。中でお茶でも頂きましょうか?」
「そうやな・・」
範久は涙をハンカチで拭うと、慶子の後に続いてリビングへと入っていった。
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