「あ、こんな所にあった。」
公演が終わり、人気のない天幕の中へと入った環は、自分達が座っていた座席に家宝の懐剣が置かれていることに気づいた。
ヴァレリー達の元へと戻ろうとした環は、自分の背後に数人の男達が忍び寄っていることに全く気づかなかった。
『いたぞ、こっちだ!』
『逃がすな!』
男達の声に気づき、慌てて逃げ出そうとした環だったが、その前に誰かに鳩尾を殴られて気絶した。
『お兄様、大変ですの!』
『マリア=ヴァレリー、淑女ならばノックを・・』
『タマキが、居なくなってしまいましたの!』
執務室に突然ノックなしに入って来た妹をいつものように咎めようとしたルドルフだったが、彼女の言葉を聞いた瞬間、驚きで羽根ペンを折ってしまった。
『それはいつのことだ?』
『サーカスが終わった後、タマキ様が忘れ物をしたと天幕の中へと戻って行ってしまわれて・・余りにも遅いので天幕の中を見ましたら、誰もいらっしゃらなかったのです。』
『そうか。』
『お兄様ごめんなさい、わたしがタマキをサーカスに誘ったりしなければ、こんな事には・・』
そう言って泣きながら自分に許しを乞う妹の頭を、ルドルフは優しく撫でた。
『そう自分を責めるな、マリア=ヴァレリー。過ぎてしまった事を悔いても仕方がない。タマキを無事に見つけることが大事だ。』
『ヴァレリー様、お部屋へ参りましょう。』
世話係がマリア=ヴァレリーを連れて執務室から出て行くと、ルドルフは蒼褪めた顔をゲオルグに向けた。
『殿下、落ち着いてください。』
『ゲオルグ、わたしが取り乱しているように見えるか?』
『いいえ。ですが・・』
『父上には・・陛下にはわたしは外出中で暫く王宮に戻らないと伝えろ。』
『お待ちください殿下!』
自分を制止しようとするゲオルグの声を無視し、ルドルフはコートを羽織りホーフブルク宮から飛び出した。
『ゲオルグ、ルドルフは何処に居る?』
『先ほどタマキさんが何者かに拉致され、その知らせを聞いた殿下が何処かへ外出されました。』
『あいつの行きそうな所に心当たりは?』
『ございません。』
『畜生、面倒な事になりそうだな。ゲオルグ、俺と一緒に来い。ルドルフがおかしな事をする前に、あいつを止めるぞ!』
『はい!』
一方、サーカス団の天幕の中で何者かに殴られ、拉致された環は、自分が何処かの廃屋に監禁されていることに気づいた。
【お目覚めかい、お嬢ちゃん?】
【こいつが、皇太子が今ぞっこんになっているっていう東洋の娘っ子か。可愛い顔をしていやがる。】
【まだまだ時間があるから、俺達も楽しむことにしようか。】
椅子に縛られ、恐怖に怯えた目で自分達を見つめる環を、男達はせせら笑った。
男達の一人が環の前に進み出て、上着のポケットから銀色に光るナイフを取り出した。
時折ナイフの刃を環にちらつかせながら、男は彼の首筋を舐めた。
環は恐怖のあまり叫びそうになったが、唇を噛み締めてそれを堪えた。
【いい匂いをさせていやがる。こりゃ香水か?】
【フランス製の香水に違いねぇ。それにこの服も高そうだぜ。】
前歯が欠けた男はスラブ語でそう言うと、環の振袖を掴んだ。
【さぁて、俺達とじっくりと遊ぼうぜ、お嬢ちゃん?】
(助けて、ルドルフ様・・)
環は死の恐怖に怯え、涙を流した。
※【】内での会話はスラブ語です。
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