「お前、俺が誰かわかって言ってるんやろうなぁ、ああ!?」
「ええ、存じ上げております。」
歳三は男の恫喝に怯まず、そう言って彼を見た。
「確か大野先生のお知り合いの方とお聞きしております。あいにく当ホテルは満室でして・・」
「そんなことわかってるわ、アホ!一つ位空室を作れって言うてんねや!」
フロンドデスクを蹴るのに飽き足りた男は、今度はデスクを拳で叩いた。
男の要求は余りにも理不尽で、周囲の客やスタッフ達は歳三が男の要求にどう答えるのか戦々恐々と見守っていた。
「申し訳ありませんがお客様、他のホテルに空きの部屋があるか問い合わせいたしますが、それで宜しいでしょうか?」
あくまで低姿勢な態度を男に取った歳三は、ちらりと横目で彼の様子を見た。
「ねぇ、いつまでこうしとるん?ジロジロ見られて恥ずかしいやないの。」
男の連れである、いかにも水商売風の女がそう言って口を尖らせると、男は舌打ちして小声でそうしてくれと歳三に言った。
「かしこまりました。あちらで少々お待ちくださいませ。」
結局、他のホテルで空室が見つかり、男の名を聞いて予約手続きを済ませ、歳三は彼らを送り出したのだが、その後が大変だった。
“フロント事件”があった数日後、甘粕のデスクに、男の父親から抗議の電話が来たのだった。
『あんた、うちの倅をホテルに泊めへんかったやろ?どうなるかわかってるんかいな!』
野太くドスの利いた関西弁で捲くし立てられ、甘粕は通話が終わるまでひたすら相手に謝っていた。
「そうですよ、土方さんは何も悪くありません。満室だっていうのに無理やり空きを作れだなんて、無茶にもほどがあります!」
千夏の意見に賛同して甘粕に抗議したのは、ドアマンの鈴木だった。
「だがなぁ・・」
「一体これは何の騒ぎだ?」
オフィスにスタッフが集まっていることに気づいた社長の酒田は、そう言って甘粕を見た。
「社長、実は・・」
甘粕が酒田に事の次第を説明すると、彼は低い声で唸った後歳三を見た。
「今回のことは、君に非がない。だが、大野先生が君の辞職を要求しているから、一筋縄ではいかんな。だから土方君、君には済まないが、当分の間謹慎処分ということでいいだろうか?」
「ええ、構いません。」
「今日は午前中で帰りなさい。後のことはわたしがどうにかするから。」
「すいません、社長の手を煩わせてしまって・・」
「いいんだ。」
酒田に頭を下げると、歳三はフロントデスクへと戻っていった。
一方、薫と美輝子は昼休みが終わり、授業が始まっても千尋がいつ来るのかわからずにチラチラと背後を見ていた。
「どうしたの、土方さん?」
「何でもありません。」
(ママ、遅いなぁ・・)
薫が国語の教科書を読んでいると、千尋が入ってきた。
綺麗な訪問着を着て、髪を美しくセットしたその姿は、同級生たちの母親の中でも美しかった。
「あれ、お前の母ちゃん?」
「そうだよ。」
左隣に座っていた男子が薫の言葉を聞くなり、ジロジロと千尋を見た。
薫の視線に気づいた千尋が手を振ると、彼女は嬉しそうに笑って教壇の方へと向き直った。
「じゃぁ次、土方さん。」
「はい!」
薫は元気よく椅子から立ち上がった。
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