「あらあなた、久しぶりね。この人も連れてきたのね。」
山梨県甲府市の市街地から少し離れた高台の一等地に、理紗子の実家はあった。
この近辺を管理している地主とあってか、荘厳な武家屋敷の門の中から、理紗子が出て来た。
この前病院で見かけたような狂乱振りはどこへやら、シフォンのツーピースを着た彼女は、ジロリと歳三の隣に立っている千尋を睨んだ。
「陸が何処かへ行きそうな場所は知らねぇか?」
「さぁ。あの子ったらまた拗ねているのよ。あなたと会えなくなるから。」
「会えなくなるって、どういう事だ?」
「わたしね、東さんと再婚しようと思ってるのよ。彼、ロンドンに来年移住する事になったの。それで、親子三人渡英しようと思ってね。」
理紗子は人を馬鹿にしたような笑みを歳三に浮かべると、そう言って笑った。
「陸には、その事を話したのか?」
「ええ。もうあなたのことを忘れろって言ったわ。もうあの人とは赤の他人なんだからって。」
「お前ぇ、それでも母親か!?」
「何よ、わたしを責めるよりも自分が陸の父親としての義務を果たしていなかった癖に!」
「表が騒がしいと思ったら、あなただったのねぇ、歳三さん。」
門の中から和服姿の理紗子の母・京子が出て来て、歳三を睨みつけた。
「陸の親権のことなら、何も話し合う事はありませんよ。あの子は高岡家の跡取りです。あなたみたいなろくでなしの父親なんて、あの子には必要ないのよ。おわかりかしら?」
京子からあからさまな悪意を投げつけられ、歳三は歯噛みするしかなかった。
「あなた、岡崎さんとおっしゃったかしら?土方の事を好いているの?」
「わたしは・・」
「理紗子、お前が何と言おうと陸は俺が育てる。」
「馬鹿なことを言うものじゃありませんよ! 陸はわたし達が育てます!」
「俺が貧乏人だから、息子を育てられないとでもおっしゃりたいんですか?」
そう言った歳三の目は、怒りに滾っていた。
「あなたみたいな碌でもない男に娘は騙されて、孕まされたんですよ!それだけでも屈辱なの! だからせめて、陸だけは立派な人間にしようとしているんです!」
「陸君は、お父さんと暮らしたいとおっしゃっています。」
千尋の言葉を聞き、京子と理紗子の顔が怒りで赤く染まった。
「本当にあの子がそう言ったの?あなたがけしかけたんじゃないの?」
「いいえ、違います。陸君は自分の所為で二人が離婚したのだと思い込んでいます。その上、大好きなお父様と二度と会えないとわかったら、ショックを受けるに決まっています。」
千尋はそう言うと、三人に背を向けて走り出した。
「おい、何処行くんだ!」
「陸君を探しに行きます!まだ遠くには行っていない筈です!」
「俺も探す!」
歳三と千尋が高岡邸の周辺を探している頃、陸は町外れの川辺でテディベアを抱えて座っていた。
“どうしてお前は出来ないんだ!”
脳裏に浮かんでくるのは、自分を孫の手で叩く東弁護士の顔だった。
彼が母と再婚すると聞いて、陸は目の前が突然真っ暗になった。
あんな怖い人を“お父さん”と呼びたくない。
陸にとって父親は、この世でたった一人だ。
「あっれぇ、陸じゃん。こんな所で何してんの?」
頭上から突然声が聞こえて陸が俯いていた顔を上げると、そこにはいつも自分をいじめているクラスメイトが自転車に跨っていた。
「お前、何持ってんだよ。」
「やめろよ、離せ!」
「いい年してぬいぐるみかよ、キモ~!」
「返せ、返せよ!」
いじめっ子達からテディベアを取り上げられ、陸は必死に取り戻そうとしたが、無駄だった。
「うるせぇな、返してやるよ!」
リーダー格の少年が、そう言ってテディベアを川の中へと放り込んだ。
「なぁ、あれはヤバいんじゃねぇの?」
「別にいいじゃん。こいつもうじき居なくなんだし。それにぃ、こいつが居なくても誰も困らないじゃん。」
「それ言えてる~」
いじめっ子達の言葉に、陸はゆっくりと川の中へと入っていった。
「ったく、陸の奴何処に行きやがった。」
「まだ遠くには行っていない筈・・」
千尋が橋を渡ろうとした時、欄干の隙間から何かが動いていることに気づいた。
「どうした?」
「あそこ、何か動いているような気が・・」
歳三が橋から身を乗り出して下流を見ると、陸が冷たい川の中へと入っていくのが見えた。
「陸、やめろ!」
流されそうになっているテディベアを拾おうとした陸は、誰かが自分を呼んでいる声が聞こえて振り向いた。
すると、そこにはスーツ姿で川に入って来る父親の姿があった。
(お父さん、どうして・・)
陸が呆然とそこに突っ立っていると、歳三は激しい水音を立てながら自分の方へと近づいて来た。
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