「お父さん、聞こえますか、お父さん!」
「華凛か・・」
脩平はゆっくりと目を開けると、そっと華凛の手を握った。
「まだ、逝かないでください。あなたには、教えて貰いたいことが沢山あるんです!」
「華凛、お前は強くなったな・・」
脩平は今にも泣き出しそうな華凛の顔を見ると、そう言ってそっと彼の頭を撫でた。
「正英流は、お前に託す。だから・・」
「そんな・・まだわたしには、あなたが必要なんです!」
「もう、わたしの心臓はもたない・・だから、お前の力で正英流の伝統を守ってくれ・・頼むぞ・・」
脩平はそう言うと、再び目を閉じた。
「お父さん、しっかりしてください!」
華凛は脩平の心拍が下がっていくのを見て、ナースコールを押した。
「下がっていてください!」
「お願いです先生、父を助けてください!」
「外に出ていてください!」
医師や看護師に病室から締め出された華凛は、どうか父の命を助けてくれと、亡き兄に頼んだ。
だが数分後、医師は華凛に向かってこういった。
「手を尽くしましたが、どうすることもできませんでした。最期に、声を掛けてやってください。」
「父は・・もう助からないんですね?」
「ええ。」
病室に再び入った華凛は、ベッドに横たわる父の手を握ると、今まで堪えていた涙を流した。
「悲しむな、華凛・・わたしは、死んでもお前の傍にいるから・・」
「お父さん・・」
「先に、兄さんと待っているからな。」
脩平は華凛に微笑んで彼の頬を撫でると、眠るように静かに逝った。
「先生、ありがとうございました。」
「気を落とさないでください。」
「はい・・」
父の最期を看取った華凛は、ふらふらと覚束ない足取りで廊下を歩き、屋上へと向かった。
まだ父の死が実感できずに居る彼は、病院の何処かに父が居るのではないかという錯覚に襲われていた。
“華凛。”
「お父さん?」
ふと父の声がして華凛が周囲を見渡すと、屋上の柵の向こうに、父の姿があった。
“こっちへおいで、華凛。”
「待って・・すぐ行くから。」
華凛は父に微笑んで、柵を乗り越えようとしていた。
その時、誰かに腰を掴まれ、強い力で地面のほうへと引き寄せられた。
「てめぇ、何してやがる!」
「離してください、先生!父が、父がそこに・・」
「正気に戻れ!」
歳介に平手を食らわされ、華凛は先ほどまで父が居た場所を見たが、そこには誰も居なかった。
「父が、死にました。」
「現実を受け入れるのは、嫌だろうな・・特に、肉親を亡くした後は。」
「本当にさっき、父の姿が見えたんです。」
「わかってる・・」
「どうして、わたしの周りから次々と親しい人が居なくなるんだろう?最初は母、そして兄夫婦、最後は父・・いつもみんな、わたしを置いて届かない場所へと逝ってしまう!」
そう叫んで自分の胸に顔を埋めて泣く華凛の姿に、歳介は総司の姿を重ねた。
“どうして、いつもわたしだけ・・どうして!”
胸に秘めた思いを吐露する事ができずに、ただ咽び泣くことしかできなかった彼と、今の華凛は良く似ていた。
歳介に今できる事は、そっと華凛の背中を擦ってやることだけだった。
「正英、お前は一人じゃない。」
「先生・・」
「俺が居るから、心配するな。」
「ありがとう、ございます・・」
乾いた咳が何処からか聞こえて、総太は目を覚ました。
ベッドの傍に置いてある時計を見ると、それはまだ午前2時を指していた。
一体さっきの咳は誰がしていたのだろうかと訝しがりながらも、彼が再び寝ようとしたとき、また咳が聞こえた。
その時、総太は初めて自分が咳をしていることに気づいた。
(まさか、そんな・・)
もう、結核で命を奪われる事がないと思っていたのに。
嫌な予感が、総太の胸を過ぎった。
大丈夫だ、この咳は結核なんかじゃない。
きっとそうだ、そうに決まっている。
総太は一抹の不安を抱えながら、眠れぬ夜を過ごした。
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Last updated
2013年07月19日 07時02分58秒
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