『長旅ご苦労さまでした。さぁ、こちらへ。』
『ありがとう。』
横浜から船に乗って2ヶ月の長旅を経て、椰娜(ユナ)はロシア・サンクトペテルブルク港へと降り立った。
初めて見る父の母国・ロシア帝国の首都は、巨大な劇場や商店などが目抜き通りに建ち並び、喧騒に満ちていた。
『ロシア語がお上手になられましたね。』
『そうかしら?だってここに住むのだから話せないといけないでしょう?』
椰娜はそう言うと、父の秘書・アレクセイを見た。
『それはそうですね。でもあなたが短期間でロシア語をマスターできたなんて驚きですよ。』
『わたしは一つの物事にベストを尽くすんです。』
ロシアまでの船旅の間、椰娜はアレクセイから歴史やテーブルマナーといった貴族として相応しい立ち居振る舞い・教養を叩き込まれた。
今まで妓生(キーセン)として優雅な立ち居振る舞いをベクニョから幼き頃より叩き込まれていた椰娜にとって、一流のレディとなる為のレッスンは苦ではなかった。
まるで水を得た魚のように、椰娜は船上で開かれるパーティーでウィットに富んだ会話を貴族達と交わし、たちまち椰娜はロシア社交界の注目の的となった。
『この調子ならば、あなたは大丈夫でしょう。』
『ありがとうございます。』
『あれが、あなたのお父様とそのご家族が住む家です。』
そう言ってアレクセイが指したのは、瀟洒(しょうしゃ)な煉瓦造りの邸宅だった。
『アレクセイ、お帰りなさい。その子なのね?』
『はい、奥様。』
邸の中へと椰娜がアレクセイとともに入ると、玄関ホールには髪を髷にしてひっ詰めた女性がじろりと椰娜を睨みつけた。
『ユナさん、こちらはあなたのお父様の奥方、オリガ様です。』
『初めまして、奥様・・』
『挨拶は無用です。あなたがあの娼婦の娘ね?憎らしいほどよく似ていること。』
オリガの言葉を聞いた椰娜は、頭に冷水を浴びせられたかのような感覚に襲われた。
正妻である彼女が、夫が外の女との間に作った自分を心から歓迎していないことはわかっていた。
わかっていたが、面と向かって拒絶されると辛かった。
『お母様、何をなさっているの?』
『アナスターシャ、部屋に戻っていなさいと言ったでしょう?』
階段の方から声がしたかと思うと、金髪の巻き毛を揺らしながら一人の少女が階段から降りてくるところだった。
『あなたがユナね?わたしはアナスターシャよ。これから仲良くしましょうね。』
少女はそう言うと、椰娜の手を握った。
これが、異母姉・アナスターシャとの出会いだった。
『ユナは今まで京都に居たのでしょう?あそこは素敵な所なの?』
『ええ。』
『一度機会があれば行ってみたいと思っていたのよ。その時は案内してね。』
『わかりました、お嬢様。』
『そんな他人行儀な呼び方はやめて。“お姉様”って呼んで頂戴。』
『わかりました、お姉様。』
椰娜がそう言ってアナスターシャを見ると、彼女は自分に優しく微笑んでいた。
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